殆どが桜で出来てゐる機械 西川火尖【季語=桜(春)】

殆どがで出来てゐる機械
西川火尖
西川火尖『サーチライト』(2021年)

 西川火尖は、機械を詠むのが上手い。機械という題材を詠む際に、単なる現代風俗の描写にとどまらず、そこへ異質な生命感や時間感覚を侵入させる点において際立っている。掲句もまた、その特質がよく現れた一句である。
 掲句の強度は、「桜」と「機械」という対極的な概念を、無理なく一つの像として成立させている点にある。桜は散りゆくことによって完成する、きわめて時間的で儚い存在であるのに対し、機械は反復と持続を前提とする無機的な装置である。本来交わるはずのない両者が、「殆どが桜で出来てゐる」という言い回しによって接合されるとき、句は単なる奇想を超えた、現実の感触を帯び始める。
 ここで重要なのは、「殆どが」という限定の置き方である。すべてが桜ではないという含みが、むしろこの機械の具体性を担保している。内部には依然として金属的な骨格や機構が潜んでいるはずであり、その見えない部分が、かえって読者の想像を強く刺激する。桜の柔らかな質感と、機械の硬質な中核とが共存することで、自然と人工の境界は静かに攪乱される。
 また、「機械」という語によって、桜はもはや風景ではなく、機能する存在へと転位する。花弁が部品のように組み合わされ、何らかの働きを担っているのかもしれない。しかしその働きは明示されず、ただ「出来てゐる」とだけ述べられる。この説明の省略が、かえって像を開き、読者の想像する運動を開始させる。
 この句の魅力は、視覚的な美しさと同時に、不安定さを内包している点にある。桜によって構成された機械は、美と機能、生命と装置といった対立を解消するのではなく、むしろその緊張を保ったまま提示する。その危うい均衡こそが、読む者に長く残る余韻を生むのである。
 句集『サーチライト』を通読すると、このような機械の表象は反復的に現れる。〈映写機の位置確かむる枯野かな〉に始まり、〈認証に差し出す瞳冬旱〉〈レコードの空転が始まる彼岸〉といった句では、装置との関係が乾いた感触で描かれる。また、〈黒い電気黒い夜業のオルゴール〉や〈陽炎へるまで試聴機を再生す〉〈配られてゆく初夢の説明書〉に至ると、現実の手触りはさらに希薄化し、異化された世界像が前景化する。掲句は、そうした連作的な文脈の中で、鮮やかに「生命と機械の交錯」を可視化した一句として位置づけられるだろう。

星野いのり


【執筆者プロフィール】
星野いのり(ほしの・いのり)
1997年生まれ。俳句結社「炎環」同人。俳句雑誌『noi』誌友。現代俳句協会所属。第14回鬼貫青春俳句大賞。第2回全国俳誌協会新人賞。第4回俳句四季新人奨励賞。第6回円錐新鋭作品賞。


関連記事