ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基【季語=ありのみ(秋)】

ありのみの一糸まとはぬ甘さかな

松村史基

はじめまして。今週からハイクノミカタ金曜日を担当することになりました、菅谷 糸(すがや いと)です。

先日まで、肺炎で入院しておりましたが、無事に退院いたしまして、今、「肺を潤す」作用があるとされる〈梨〉をいただきながら、この原稿を書いています。

果肉を噛む度に、喉へ流れていく果汁が、喉の奥とその先の渇きを癒してくれるようで有り難いです。

さて、掲句の〈ありのみ〉は、梨の異名。
梨は、その甘みや、雫を詠まれることが多いですが、この句の甘さの描き方は少し特異に映ります。

「一糸まとはぬ」とは、文字通り「一本の糸すら身にまとっていない」状態、つまり〈全裸〉を表す表現です。人間の裸体に使われる言葉が、ここでは「甘さ」にかかっています。この比喩により、「ありのみ」の甘さは、ただ味覚に訴えるものではなく、官能的で、むきだしの、野性的な誘惑として描かれています。

「一糸まとはぬ甘さ」という平明な言葉は、写生として読んだ場合に、ただ説明しているだけだと誤解されがちです。しかし実際には、選ばれた言葉の背後には、無数の捨てられた語彙があり、ようやく残した〈一語〉は、 “ありのみが作者の中に何を引き起こしたか” という感覚の記録だと私は感じました。

「一糸まとはぬ甘さ」。それは、ただ味を伝えるだけの言葉ではありません。
触れた感覚に、作者自身の心身がどこまで動かされたのか。写生とは、その「震え」を、もっとも素直な言葉で残すことかもしれません。

(菅谷糸)


【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。




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