小谷由果の「歌舞伎由縁俳句」【第17回】永井荷風と二世市川左團次と俳句

荷風と二世左團次
荷風は明治42年(1909年)、小山内薫から二世市川左團次を紹介された。
小山内薫は尋常小学校時代に雑俳に打ち込み、宗匠の鶯亭金升のもとで同門の二世左團次と出会った。東京帝国大学在学中には、薫の父と同僚だった森鷗外の知遇を得て、薫は伊井蓉峰の一座の座付作家となった。
左團次は、明治35年(1902年)の父の死去に伴い、明治座の座元を受け継ぎ、明治39年(1906年)9月に二代目市川左團次を襲名。その襲名披露興行の収益をもとに、9ヶ月の欧米視察に出た。帰国後、明治42年(1909年)から小山内薫と二世市川左團次は、「自由劇場」で新劇運動を行い、そこに荷風は関心を示した。ちょうどこの頃、小山内薫から左團次を紹介された。
以降、荷風と左團次は親友となった。荷風は大正3年(1914年)8月に左團次夫妻の媒酌で結婚式を挙げた。大正10年(1921年)、荷風は左團次の上演台本を討議する「七草会」のメンバーとなり、脚本も書き下ろした。荷風の戯曲が度々左團次によって上演された。

その交友の中で、左團次にまつわる荷風の俳句もいくつか残されている。
昭和元年(1926年)には、ともに向島百花園に遊び、そこで合作の楽焼を残しており、左團次の画に荷風が句を添えている。

蔦もみぢ錦をかざる家の門 荷風

楽焼以外に、合作の軸も残されている。

薮こしに曲輪見ゆるや門の秋 荷風

これらの合作以外にも、左團次にまつわる荷風の俳句がいくつかある。

市川左團次丈煙草入の筒に
春の船名所ゆびさすきせる哉

以下三句は、昭和15年(1940年)に亡くなった左團次への追善句である。

散りぎはゝ錦なりけり蔦紅葉
つきぢ川涙に水もぬるむ夜や
行雁や月はしづみて夜半の鐘

追善句の一句目は、向島百草園での合作の楽焼に書いた句「蔦もみぢ錦をかざる家の門」と呼応している。「蔦紅葉」は、左團次の替紋が松皮菱に鬼蔦であるのを掛けている。
二句目の「つきぢ川」は、『断腸亭日乗』によると、「杏花君(左團次)とは去年中秋の夕築地河岸の藍亭といふ酒楼に招かれしがこの世の名残りなりしなり」とあり、その最後に会った場所を詠んでいる。
三句目は、唐の張継『楓橋夜泊』の起句「月落烏啼霜滿天」と結句「夜半鐘聲到客船」による。左團次を失った悲しみを、孤独な旅愁の名詩に託している。
左團次にまつわる句以外にも、荷風は歌舞伎俳句をいくつも残しており、一句ずつ演目にまつわる説明が必要なので、またの機会にご紹介したい。

さて、先月の歌舞伎座で上演された『梅ごよみ』は、深川芸者の米八(中村時蔵)と仇吉(中村七之助)の美しい女方二人と、色男にぴったりな美丈夫の中村隼人、そしてとても可愛い中村莟玉の競演が大変華やかで、荷風が舞台監督として諸事演出を指図した、という初演当時の演出もどこかに活きているのかな、と想像しつつ、現代においても芝居を通して荷風たち先達と心が通うような気持ちになった。荷風も夢中になった為永春水の『春色梅児誉美』の頃に想いを馳せ、江戸時代の文化がまだ歌舞伎の中に活きている嬉しさを感じた。

【参考文献】
『荷風俳句集』(加藤郁乎編、岩波文庫、2013年)
『新潮日本文学アルバム 永井荷風』(日本近代文学館ほか編、新潮社、1985年)
『永井荷風と東京』(東京都江戸東京博物館編集・発行、1999年)

小谷由果


【執筆者プロフィール】
小谷由果(こたに・ゆか)
1981年埼玉県生まれ。2018年第九回北斗賞準賞、2022年第六回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞、同年第三回蒼海賞受賞。「蒼海」所属、俳人協会会員。歌舞伎句会を随時開催。

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