黙阿弥の七五調と句
黙阿弥の作品の第一の特徴は、「黙阿弥調」とも呼ばれる、縁語や掛詞などを用いた七五調の連ねである。ここには、狂歌や雑俳などの五音七音の素養が存分に活かされている。『三人吉三巴白浪』のお嬢吉三の名科白も、『弁天娘女男白浪』の弁天小僧菊之助の名科白も、日本人に古くから馴染みのある和歌や俳句と同じ七五調であるがゆえ、人口に膾炙するのだろう。
黙阿弥調の中には、俳句から直接影響を受けている科白もある。
『弁天娘女男白浪』の南郷力丸の科白
舟足重き刑状に、昨日は東今日は西、居所定めぬ南郷力丸
には、宝井其角の句
いなづまやきのふは東けふは西
が組み込まれている。なお、この「稲瀬川勢揃いの場」での南郷力丸の衣裳には、其角の句の上五「いなづま」の模様が入っている。
黙阿弥は、「其水」という俳名を持っており、1867(慶応3)年刊の『くまなき影』には、其水の俳句が掲載されている。
蓮の実の飛を見て飛蛙哉 其水
また、『黙阿弥の手紙・日記・報條など』(河竹繁俊編著)には、黙阿弥の折句が数句掲載されている。
つちや
築地なる茶所にあつまるやくわん連
しやか
しわいやつ安見世ならと開帳し
ととと
どなられて戸まどひなどゝとぼけてる
鳥追のとる阿弥笠に年が知れ
とろ/\と鳶も洒落てとまるむぎ
黙阿弥は、1893(明治26)年1月3日に脳溢血を起こし、1月8日には辞世を詠んでいる。
花の咲く春をば待ちしかひもなく片枝よりして枯れし老梅 黙阿弥
1893(明治26)年1月22日、黙阿弥の長女いと子の日記に黙阿弥の最期の様子が記されている。
二十二日。午前九時頃に、
「扨(さて)今日こそは別るべし 午後までは保つまじ」
とて、あとは静かに念仏を唱うるのみ。
午後四時少し過ぐる頃眠るが如くに没しぬ。
黙阿弥は、最後の言葉まで七五調であった。
黙阿弥の絶筆は、1893(明治26)年1月に五代目菊五郎が歌舞伎座で踊った『奴凧廓春風』となった。
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