教師二人牛鍋欲りて熄むことあり
中村草田男
友人に最近引越しをしたのがいて、せっかく家が広くなったというので、新居で牛鍋をすることにした。
企画の段階では「牛肉だらけの牛鍋は下品でいけない」、「牛鍋というのはほとんど葱を食うためにあるようなものだ」「いや、いかに椎茸に美味い出汁を吸わせるかだろう」など、まさに喧々諤々の議論が尽くされたが、折しも故郷の母からお歳暮の牛肉が届き、牛肉だらけの牛鍋と相成った。
食事は、強がりだけではいけないから。
教師二人牛鍋欲りて熄むことあり
掲出句の意味は明瞭で、教師二人が「たまには牛鍋でも食べようか」などと話していたものの、結局やめてしまったというだけのことである。
状況としては、たとえば昼休みにそんな会話をしたものの終業の頃にはすっかり立ち消えになってしまっていた、ということも考えられるかもしれない。
しかしこの句は、帰路を同じくする教師二人が、その途中で牛鍋の看板を見たり、どこかからそれらしき匂いを嗅ぐなどして、「ああ、牛鍋が食べたい」などと言いつつも結局そのまま帰ってしまったものとして読んでおくべきだろう。
それというのも、一句の眼目が「欲りて熄む」という表現の、俳味を多分に含んだ「哀れ」にゆだねられているためである。
さらりと「欲りて」さらりと「熄む」よりは、牛鍋の味わいを存分に想起させつつ、しかしなんやかやと辞めにしてしまった、という方が相応しいだろう。
このようなまとめ方をすると、あまり通俗的で、生活の匂いにあふれて、季語「牛鍋」が十分にいきてこないのではないか、という意見が出てくるかもしれない。しかし、私は「牛鍋」とは案外そういうものではなかろうかと思う。
草田男の当時から現代に至るまで、程度に差はあれ牛鍋は比較的高級な食べ物である。私など、冒頭のように牛鍋を食べようかな、などと言って実際に食べることはごく稀で、ほとんどは食べず仕舞いに終わる。
そこまで極端でなくとも、「食べたい」と思ってから「食べる」に至るまでの距離が遠いのが牛鍋のひとつの特徴ではないか。「牛鍋」という料理へ起こる実際的な感覚は、まさしく「欲りて熄む」という要素にこそあらわれてくるように思われる。
一句を映像として捉えたときに、厳密には我々の眼前に「牛鍋」は登場して来ないのだけれども、ここで一度求められ、すぐに諦められてしまった「牛鍋」の存在感は、単純に牛鍋を食べるさまを描写する以上に、我々の心に牛鍋への思いを呼び起こさせるのである。
生活実感に即して嫌味のない、力の抜けた秀句である。
ところで、美食家としても知られる草間時彦は『淡酒亭歳事記』の「牛鍋」の項において以下のように述べている。
結局、すき焼のもっともうまい食べ方は、若い食べ盛りを四、五人集めて、牛肉をふんだんに買って、鍋にして食べさせる。そのときの牛肉はそれほど高級でなくともよい。こちらは、鍋から少し離れたところに陣を取って、ときどき、焼豆腐かしらたきを取って貰って、ちびりちびりとやっている。やがて、若者が山盛の牛肉をたいらげたあと、その鍋に餅を入れて煮て食べる。これは、うまいこと確実である。河豚ちりも同じことで、最後に入れた餅やうどんが最高だ。
一応補足をしておくと、私は若い食べ盛りだ。このさい河豚ちりだって構わない。
あたたかいご連絡をお待ちしている。
(加藤柊介)
【執筆者プロフィール】
加藤柊介(かとう・しゅうすけ)
1999年生まれ。汀俳句会所属。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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