笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第18回】2012年 阪神大賞典 オルフェーヴル

【第18回】
主役の輝き
(2012年 阪神大賞典 オルフェーヴル)

どうしたって主役になってしまう。

「そこに居るだけで注目を浴びてしまう存在」と言われて、誰か特定の友人知人の顔が思い浮かびはしないだろうか。著名人や芸能人にまで範囲を広げると、心当たりがあるかもしれない。小学校の時、クラスの中心的存在だったあいつ。特に騒がしいわけではなかったけれど一目置かれていたあの子。競走馬の世界も同様に、注目を集める馬というのは存在する。注目される理由は様々だが、今回取り上げるオルフェーヴルは、勝てなかったレースですら主役になってしまう。破天荒でいて惹きつけられる、目の離せない存在だ。現役引退した今でも多くの競馬ファンに愛され、生まれながらにして主役の輝きを放ち続けている。

オルフェーヴルは連載の第5回の際にも取り上げたが、何度でも語りたい名馬であり、オルフェーヴルのエピソードだけでも連載を続けられるほど話題に事欠かない。

皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制した史上七頭目の三冠馬。GⅠを6勝し、世界最高峰のレースのひとつであるフランスの凱旋門賞では2年連続2着。その強さは王者そのもの。また鞍上の池添謙一騎手をレース後に振り落とすような激しい気性の持ち主であり、その美しく輝くような馬体から「金色の暴君」とも呼ばれていた。

オルフェーヴルには多くの逸話があるが、その中でもオルフェーヴルの規格外さをよく表しているのが2012年の阪神大賞典だろう。

前年の有馬記念を制し、海外G1である凱旋門賞を目標に据えたオルフェーヴル陣営が2012年の始動戦として選択したのが阪神大賞典。阪神競馬場、芝3,000メートルの長距離戦だ。クラシック三冠に加え有馬記念も制していたオルフェーヴルは、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されていた。

ファンファーレが響き、ゲートが開く。各馬一斉にスタートを切り、徐々に馬群が形成されていく。後方からの競馬が多いオルフェーヴルだが、この日は中団に位置を取った。スローペースでレースが進んでいく中、ナムラクレセントが動いた。加速して、先頭に立ったのだ。それにつられるようにしてオルフェーヴルも二番手へ上がり、じわじわと差を詰めていく。そしてついにナムラクレセントを追い抜き、先頭へと躍り出た。

2周目向正面で、オルフェーヴル先頭。全く想像しなかったレース展開にスタンドがどよめく。しかし直後に、事件は起こった。

ナムラクレセントを追い抜いたオルフェーヴルが、突如として失速。外ラチ沿いへと逸走したのだ。その尋常ではない下がり方に、最悪の事態を思ったファンは少なくない。

故障。

直感的にそう思った。わたしの脳裏にも天皇賞・秋でのサイレンススズカの悲劇がよぎる。サイレンススズカはターフに倒れ、そのまま天へと昇ってしまった。まさか、オルフェーヴルまで? そんな……。競馬の神様はなんて意地悪なのだ!

しかし次の瞬間、驚くべき光景を目撃することになる。

自分の横を他馬たちが駆け抜けていったことに気づいたオルフェーヴルは、馬群の後ろから、再び先頭をめがけて駆け出したのだ。走るのを止めた馬が、またレースに戻ってくるなんて! まるで漫画のような光景に、誰もが目を疑った。実際、他の馬に騎乗していた騎手もオルフェーヴルに気づき、「戻ってきた!!」とレース中に叫んだという話だ。

そして信じられないことに、オルフェーヴルは順位をどんどん上げていく。まるで「なんだ、まだレース終わってなかったのかよ」とでも言っているかのように、いつもの力強い走りで最後の直線を駆け上がる。まさか、このまま勝ってしまうのか?

しかし大きな不利なく走ってきたギュスターヴクライには追いつけず、それでも最後までギュスターヴクライを追い詰めての2着。オルフェーヴルの常識に囚われない走りに唖然とする結果となった。

もちろん称えるべきは勝ち馬である。ギュスターヴクライはこれが初重賞制覇となったのだから、それは本当に素晴らしく喜ばしいことである。しかしこの2012年阪神大賞典を語るとき、オルフェーヴルを抜きにしては語れないし、「オルフェーヴルの逸走したレース」として語られることがどうしても多くなってしまう。それくらい強く記憶に残る衝撃をオルフェーヴルは残していったのだ。常識では括れない。いつだってそういう存在が心に残るし、歴史にも残っていくのだろう。俳句だって、そうかもしれない。

春荒をのぼる陽にして輝かし  高山れおな

オルフェーヴルはまさに「のぼる陽」であった。そしてオルフェーヴル自身が「春荒」でもあった。そんな危うさの中の神々しさに魅了されて、わたしはこれからもオルフェーヴルを愛していく。というより、オルフェーヴルを愛する道からはもう逃れられない。どんな「春荒」であろうと、「陽」は必ず「のぼる」と信じているし、わたしはその輝きを知っている。


【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。


【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】

【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)
【第11回】馬の名を呼んで(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)
【第12回】或る運命(2003年 府中牝馬ステークス レディパステル&ローズバド)
【第13回】愛の予感(1989年 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ)
【第14回】海外からの刺客(2009年 ジャパンカップ コンデュイット)
【第15回】調教師・俳人 武田文吾(1965年 有馬記念 シンザン)
【第16回】雫になる途中(2023年 日経新春杯 ヴェルトライゼンデ)
【第17回】寺山修司と競馬(1977年 京都記念 テンポイント)


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