【冬の季語=三冬(11〜1月)】狐火
冬の暗夜、山野に見える怪しい火。鬼火、燐火などの類である。狐が口から吐いているという俗説に基づく。
芭蕉も活躍した元禄期は、上島鬼貫の「まことの外に俳諧なし」という言葉に象徴されるように、空想ではなくありのままの真実を詠む傾向が強まり、怪異が詠まれること自体が減っていく時代ではあったが、その時代においてもなお、怪火は実際に見られ、報告されるものとして、俳諧で詠まれてきた。このあたりの事情については、久留島元のオバケハイク【第1回】「龍灯」も参照のこと。
そのなかにあって「狐火」は、江戸郊外にある王子稲荷の伝承によるもので、曰く、毎年大晦日になると関東一円の狐が参集し、榎木のあたりで狐火をともして装束を調えて参詣するという。付近の百姓は狐火を見て翌年の豊凶を占うのだ、と。
かくして、近代歳時記では冬の季語ということで定着しているが、もともと狐火は蛍火と見間違うという表現で使われ、俳諧では夏から秋にかけて使われる例も多い。この点は、前田霧人「怪火・鬼火 狐火」(『新歳時記通信』11、2018)に詳しい。
【狐火(上五)】
狐火の次第に消ぇて小夜時雨 井上井月
狐火に河内の國のくらさかな 後藤夜半
狐火を信じ男を信ぜざる 富安風生
狐火をみて東京にかへりけり 久保田万太郎
狐火にせめてををしき文字書かん 飯島晴子
狐火やかの世も夫とかくあらん 藤木倶子
狐火見し純白の夜を妊れり 齋藤愼爾
狐火を信じ唯物論信じ 吉年虹二
狐火を見しとふ瞳にて見つめらる 大石悦子
狐火や真赤な紐の落ちてゐて 藺草慶子
狐火や狐の顔の皆違ふ 佐々木六戈
狐火の話公衆電話から 小澤實
狐火や山だよりして二三日 田中裕明
狐火にけもの心や跳ねて飛ぶ 岡田一実
狐火の目撃者みな老いにけり 篠崎央子
【狐火(中七)】
美しき嘘狐火を見しことも 八田木枯
またたきもせず狐火を見たといふ 伊藤伊那男
【狐火(下五)】
道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文