真夜中は幼稚園へとつづく紐
橋爪志保
『川柳スパイラル』18号から。
街灯にポツンと照らされて、「紐」が落ちている。「紐」の先は暗闇に呑まれ、見えない。「紐」を手繰りながら進むうちに「これは幼稚園へと続いているのだ」という確信を得た。そして「紐」の正体は「真夜中」、私が心を許し、自由になれる「真夜中」が「幼稚園へと」誘っている……という解釈でいる。「そんなことがテキストに書かれていますか」と言われると弱るのだが、おそらく多機能的な「は」がこのような読みへと導いたのではないか。そう思わずにはいられない。
「は」の機能の一つは「カレーはおいしい」のように主語(主題)を作ること。主語と述語をイコールで結んでいると考えてもよいだろう。つまり「真夜中」=「幼稚園へとつづく紐」。もう一つは「夏はカレー」のように強調する「は」。「といえば」と同じ機能と言える。「真夜中」といえば「幼稚園へとつづく紐」。これ以上は言語学に特別明るいわけではないので深く踏み込めないが、「群馬は高崎の生まれ」のように包含関係にある地名に使えたり、「象は鼻が長い」のように二重主語文を作れたりする。つまり、「真夜中」と「紐」は地名のように同じレイヤーで括れるという解釈も、「真夜中は幼稚園へとつづく紐が垂れている」のように後半が省略されているという解釈も生まれうる。それらがミックスされて上で述べた解釈が導出されたのでは。「読み過ぎでは?」と問う自分と「これ以外に読みようがない」と弱々しく答える自分がいる。
ところで、川柳は間違った日本語だろうか。ある友人は「ここまでに来て」と言うことがあった。海外から来た彼はおそらく、助詞は重ねて使える(例:ここはない/ここにはない)ことと、「ここに来て」「ここまで来て」が両方とも成立することから「ここまでに来て」も成立すると推察したのだろう。彼の背景を知っていれば納得だが、彼の情報がなくなった文章として読むとき、やはり違和感がある。
違和感を抱かせる文章が間違っていて、すらすらと理解できる文章が正しいとしたとき、川柳は間違っているのだろうか;多くの人に鑑賞され、感動を与え、のめり込ませる力を持っているのに。
言語学では文法的に成立しない文を非文と呼ぶ。コトバンクには「私を本に読む」が例文として載っていたが、決して解釈不能なものではない。また、文法的に正しいが意味が通じない例として有名な”colorless green ideas sleep furiously”(色のない緑色の考えが猛烈に眠る)という一文も、詩の言葉であると思えば何かしらコメントはできる。文法的な正誤と解釈の可不可が一致しないところが川柳(また俳句)の面白いところである。
掲句は文法的な誤りがない。なのに解釈に自信が持てない。句の堂々と佇むような感じが、私の自信のなさをより強めている。
(日比谷虚俊)
【執筆者プロフィール】
日比谷虚俊(ひびや・きょしゅん)
「いぶき」所属、「楽園」同人、「銀竹」代表、現代俳句協会青年部所属。
【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)