良い寿司は関節がよく曲がるんだ 暮田真名

良い寿司は関節がよく曲がるんだ

暮田真名

川柳に出会ったばかりの頃は、川柳なんてなんのこっちゃわからなかった。高校生のときはわからないままにしておく他なく、大学生になって連句を知って、それでようやく川柳を読む糸口を掴めた。再現性がどの程度あるかわからないが、私が読めるようになった経緯を書いてみよう。

連句とは端的に言って連想ゲームだ。前句から「このあとどうなるかな?」「この横で何が起こっているかな?」といったことを連想して次の句を作る。順番は何も原因→結果、過去→未来でなくてもよく、結果→原因、未来→過去でも問題ない。

そして、川柳の何がわからなかったかと言えば前提がわからなかった。暮田真名の寿司を詠んだ連作「OD寿司」から当時特にわからなかった句を引く。

寿司として流星群は許せない
寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ
良い寿司は関節がよく曲がるんだ
寿司それは飼い慣らされたアルマジロ
モナリザの肩の隣に寿司がある

「そんなわけなくない!?」と思いながら読んでいた。俳句と違って「現実」を前提にしていない。読みの補助線が欲しかった私は「この句が成立するならば前句はなんなのか」を考えてみることにした。これはなにも突拍子もないことではなく、川柳の由来となった前句付(まえくづけ)のリバイバルと言える。前句付とは、お題となる句の前句を募集し、面白かった句の作者に景品を出すというもの。「この句が成立するならば/面白くなるならば前句はなんなのか」を考える人々は、江戸時代にはいたのである。

私が作った前句(今作ったものもあるが)と暮田の川柳を並べてみよう。

 青年たちの駅前のデモ
寿司として流星群は許せない

 バラエティでは活きる逆ギレ
寿司ひとつ握らずなにが銅鐸だ

 新進気鋭板前の著書
良い寿司は関節がよく曲がるんだ

 ショート動画でバズる謬説
寿司それは飼い慣らされたアルマジロ

 ハズキルーペで全部解決
モナリザの肩の隣に寿司がある

しばらく前句を付けて考えてみる、ということをしているうちに石田柊馬の〈妖精は酢豚に似ている絶対似ている〉と出会い、稲妻に打たれたような衝撃と共に川柳を川柳として読む力を身につけた。圧倒的な「我」あるいは「主観」を前に前句は不要である、という体験だった。以来、川柳に夢中である。

読めるようになるためのピースが揃っているかどうかは本人が確かめるまでわからない。私も18のときにはエーリッヒ・フロムの『愛するということ』が難しくて全然読めなかった。「俺はこうしたら川柳を読めるようになった!」「川柳はかく解しかく味う」と他人に言われたところでピースが揃っていなければ納得も衝撃もない。今読めないから、この方法でわからないから、といったことで過剰に自分を責める方がいたら「そんなことないよ」と言いたい。『愛するということ』を知人から15のときに借りて、返したのは22のときだったし、プロレスも最初の一年は「いや避けろよ」と思いながら見ていた。〈妖精は酢豚に似ている絶対似ている〉も〈良い寿司は関節がよく曲がるんだ〉も、言語化しがたい納得が魅力であるということに、私が気がつくのが今だったというだけだ。

(日比谷虚俊)


【執筆者プロフィール】
日比谷虚俊(ひびや・きょしゅん)
いぶき」所属、「楽園」同人、「銀竹」代表、現代俳句協会青年部所属。



【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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