
こほろぎと住み携帯の充電中
山口禮子
『半島』(2012年、북북서)より。山口禮子さんは1993年に発足したソウル俳句会の第4代主宰で(現在は第5代齊藤歩主宰)、近年帰京して以降は顧問として同会に携わっておられる。お酒にめっぽう強くて豪快な(でも繊細な)、人間くさくて義理堅い、ソウルで亡くなったご主人を心から愛しておられる禮子さん。
初めてお会いしたのは、2008年の藍生東京例会だった。たまたまソウルからのゲストとしていらしていた禮子さんと、たまたま(と言うか数年ぶりに)参加した私を、杏子先生が引き合わせてくださったのだ。あらそう、ソウル行くの。この方ソウルの方だから、きっと力になってくれるでしょう。あれは運命だったのか、杏子先生の神通力だったのか。
当時、「師もなく派もない」ソウル俳句会のメンバーは、日本人駐在員や日本統治時代の日本語教育を受けた韓国人のお年寄り(その日本語教養の深さ!)など。目まぐるしくメンバーが、主宰すらも数年おきに入れ替わる中、あの手この手でしなやかに「場」を守ろうとしていた。月に2回の句会がある日もない日もしょっちゅう会ってありとあらゆることを話して、本当に楽しかったなぁ。離任の際に〈アンニョンソウルわが人生の花の宿〉という句を詠んだ。句はともかく、何となく想像していただけるだろうか。
禮子さんは、よく自宅も開放してくださった。高層アパート、日本で言うところのマンションが一般的なソウルにあって、禮子さんのお宅は一戸建てでとても風情があった。住所の麻浦区桃花洞から取って桃花庵と呼ばれていた。馬のお尻から爪楊枝が出てくる変な楊枝入れがあって、それは禮子さんの自慢だった。みんなで笑いころげた。なぜ、一枚の写真も残っていないのだろう。
掲句はまさに桃花庵を詠んでいる。私がこの句を愛するのは、もしかしたら内輪受けのようなものかもしれないけど、思い出にまみれすぎているかもしれないけど、それでいいじゃないかと思う。異国で働き、ひとりで暮らすことのリアルな手ざわり。迷い込んできたこおろぎと目を合わせ、その日の禮子さんはどんな表情をしていただろう。
半島の月大きくて悴めり 山口禮子
(荻野ゆ佑子)
【執筆者プロフィール】
荻野ゆ佑子(おぎの・ゆうこ)
1977年生まれ。1997年「藍生」入会を経て、2020年「銀漢」入会。「ソウル俳句会」帰国会員。句集『みお』(2026年、ふらんす堂)。

◆自選十二句
この良夜どちらがどちら見送るか
鶏一羽炊いてソウルの雪深し
ちちははといもうとのゆめ遅櫻
十畳の荒野ありけり寝冷の子
蟻といふけなげなものを振り払ふ
香り立つ文鎮として青蜜柑
どんぐりを拾ひをりしが謎拾ふ
袴にもまつはる紐や七五三
絨毯の鳳凰の目を踏まぬやう
薄氷はみづの瘡蓋かもしれぬ
白梅を褒めむ淋しき吾子褒めむ
雛段の雪崩るるごとし飛騨泊