もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎【季語=冷奴(夏)】


もち古りし夫婦の箸や冷奴)

久保田万太郎


 心にも言霊はあるようだ。連載の話来ないかなぁ、来ないからどこかで勝手に書こうかなぁと考えていた折にこのお話をいただいた。〽この世で一番かんじんなのはステキなタイミング(坂本九『ステキなタイミング』)は私の座右の銘のひとつだ。言霊は時にちょっとしたドラマチックをもたらす。

 映画やドラマには自分の人生や生き方と重なる部分があった時にとりわけ心が動く。それまで歩んできた時間の蓄積があるから60分のドラマでも涙してしまうのだ。その歴史は、作品そのものが刻んできた時間の場合もある。ドラマ『北の国から』はその代表格。純と蛍は兄弟であり姉妹であり、ある世代には我が子なのだ。映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』には「寅さん」という歴史が組み込まれている。時間そのものの持つパワーを味方につけられれば最高だが、どの作品にも出来ることではない。

 しかし、ある程度作り出すことならできる。ドラマが映画化される時、映画公開の前にそのドラマの一挙放送をしたりエピソードゼロ的な新作を放送するといった手法は今や定番。多くの時間を共に過ごすことは思い入れを育む時間にもなる。その過程で作品を好きになる場合もあるだろうし、もともと好きであれば思いは一層強くなる。

 映画『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』の組み立て方は正統派にして正解と言いたい。警視庁の佐藤刑事と高木刑事の出会いから恋に到るまで、そして出会う前の因縁も丹念に再放送されたので、劇場で佐藤刑事のウェディングドレス姿を見た時には母親の心情になっていた。20代で鑑賞していたら佐藤刑事と自分を重ね合わせていただろう。さほど思い入れのある登場人物ではなかったのに、時間の共有によって不思議な愛着が生まれた。

  もち古りし夫婦の箸や冷奴   久保田万太郎

 使い込んで古びた夫婦の箸。しかし使い古すのが悲しいこととは限らない。それが夫婦で刻んできた時間であればむしろ喜びといえる。その箸でいただくのは冷奴。主菜ではなく、特別なものでもない。こうした日常をこれまで繰り返してきたこと、これからも繰り返していくことへの感慨がふと湧いてくる。そんな夜もあるだろう。

 この句が作られた頃、万太郎は結婚してからまだ4年ほど。年数でいえば新婚だが決して甘い生活ではなかった。夫婦の箸が古くなったという事実ではなく、二人の歴史をようやく感じることが出来るようになったことを俳諧味たっぷりに詠み上げたのだ。

 長く歴史を刻むに越したことはないが、長さだけが必ずしも問題ではない。どんな時間を誰と過ごしたか。ほんの数時間、誰かと過ごしたことが残りの生涯を支えることもあるのではないだろうか。少なくとも筆者にはそういう大切な数時間がある。

『草の丈』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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