三角形の 黒の物体の 裏側の雨 富沢赤黄男


三角形の 黒の物体オブジェの 裏側の雨

富澤赤黄男
(『黙示』昭和36年)

転職をした。けったいな仕事から怪しげな仕事へと鞍替えした格好だが、ひとまずジャケットを羽織ったりしてみた。ところがどうやら平常時の出社はスウェットでもよいらしく、私は怪しげなオフィスでもっとも胡散臭い人間になってしまった。

職場は愛宕神社にほど近く、道に出れば形のよい桜の木が見える。


ちょうど見頃を迎えているこの桜だが、連日の雨風で早くも花びらを落としつつある。歯切れの悪いスタートに桜も調子を合わせてくれているようだ。
 
さて、掲句。少し暗い雨の句である。収録は赤黄男晩年の句集『黙示』。赤黄男は新興俳句・前衛俳句の奔流を駆け抜けた俳人の一人だが、その志向はある意味において一貫していた。少し長くなるが、第一句集『魚の骨』のまえがきを一部引用する。

 僕は雲にのらうとした。それは、厳しい水流を、はるか高いところから、こつそり眺めたいと思つたからである。(中略)しかし僕は、やがて喘いできた。空気が希薄なのであらうか。それは淋しさといふよりむなしさといふべきであらう。
 僕は雲から下ることにした。下りたところには密林があつた。
 僕はその密林をくぐつて歩いてゆかう。(中略)そのとき、僕は落葉の中に、はつきりと、象徴の径を発見することが出来るのだ。
 その径は、密林をつらぬいて、はるかに太陽へ通ずる。
 僕は、一・七メートルの肉体をこの上もなく愛する。この肉体は、あらゆるものの中で、最小の肉体だと云はれる。
 僕はこの小さい肉体で、あらゆるものよりも巨きい詩をうたはうと考へる。
 この肉体は、だから常に躍動せねばならない。激しい跳躍があり、律動がある筈だ。
 跳躍は肉体の拡充である。そしてこれは、彼の太陽のものである。

観念的ではあるものの、彼の創作における志向とその目標がはっきりと示されている。俳人としては珍しく、理想の詩を求める過程において、自身の肉体を精一杯動かすことで光明を見出そうとする姿勢を表明している。

なお、この頃の句は〈ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる〉〈ペリカンは秋晴れよりもうつくしい〉〈白い幹そのうしろには風ばかり〉など、動物や植物といった自然のモチーフを詩情発見の契機としたものが多く見られる。

そこから『黙示』へと至る過程において、赤黄男の句は抽象度を高めていく。ともすれば手法の転換にも見えるほど句の表面は変化しているが、この変容はあくまでも初期の志向が純粋化した結果であると捉えたい。落葉の中に現れた径は赤黄男の耕耘によって徐々にその輪郭を削ぎ落とし、太陽へと続く一本の線に姿を変えたのである。

三角形の 黒の物体オブジェの 裏側の雨

きわめて抽象度の高い句である。材質や大きさ、あるいはその存在理由すら明示されないオブジェであるが、「裏側の」によってそこに三次元空間が存在することが明示される。私たちが純粋に受け容れられる語は「雨」のみだが、その視界と手触りがオブジェを確かに眼前の異物であると認識させる。加えて、一字空けにより意識的に切り離された「さんかくけいの」「くろのおぶじぇの」「うらがわのあめ」という7音-7音-7音のフレーズは正三角形を構成し、オブジェの存在感をより強固にする。

掲句の付近には〈暴風の 果の 華麗な円に 祈祷る〉〈くろい壺の 中の 半円の 歌声よ〉〈楕円の夢 くろびかりつつ歪むかな〉等、人がそれぞれ個人的に持つ感覚や印象を図形によって一般化しようとした句が多く見られる。

新興俳句運動を構成する要素のひとつとして社会と個人の対立があり、そうした個の主張が持つ虚しさを肯定的に捉える必要性が高まっていくという昭和から平成にかけての時流に対して、赤黄男は先見的な挑戦者であったと四ツ谷龍は評価する

個の主張がある程度の到達点を示し、人々が個の制御と社会の調和に向けた揺り戻しの最中にある現代において、赤黄男の「主張」は依然重要な示唆を与えてくれるのではないだろうか。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。


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