人の世に雪降る音の加はりし
伊藤玉枝
今年の当地の初雪は10月30日だった。平年より2週間くらい遅かったのではないかと思う。遅いのはありがたいことなのだが、かえって降り出したらあっという間に根雪になったりするのではないかと心配になってしまう。
初雪は古来から愛でられるものとされているが、それは西南暖地の季節感だろう。北国ではみな、これから来る長い冬の前触れとして、厳粛とでもいうべき気持ちで受け止めるものだ。
人の世に雪降る音の加はりし
吹雪なら風が渦巻く音がするが、ただ雪が降るときには音などはしない。かえって雪は音をよく吸収するので、雪は静寂を道連れに降り積もってくると言ってもよいくらいだ。
私は掲句の「雪降る音」は「しんしん」という音ではないかと感じる。「人の世」に雪降る音がしんしんと浸潤してくる。この「しんしん」(漢字で書けば「深深」「沈沈」)というのは、雪の描写でよく使われるオノマトペだが、もともとは「奥深く静寂なさま」という意味で、雪に限定して使われることばではない。しかし、「し」の音の息を潜めるような語感、繰り返しによる没入感、ひらがなで書いたときの見た目のシンプルさなどが相まって、雪を形容するのにふさわしいオノマトペとして好まれてきたのだろう。
掲句では、雪降る音が加わってゆくのは「人の世」だという。この「人の世」のイメージは、つねに人と人とが行き交い、語り合い、気をつかい合う世間のようなものだろうか。
「しんしん」という雪降る音は聴覚だけではなく、全身で捉えられる性質のものだ。作者は「雪降る音」を、「人の世」からしばし離れて、自らの純粋な身体をもって聞いているのである。
深谷雄大(「俳句創作百科『雪』」)より引いた。
(鈴木牛後)
【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)、『暖色』(マルコボ.コム、2014年)、『にれかめる』(角川書店、2019年)。