【冬の季語=仲冬(12月)】年忘れ
【ミニ解説】
「忘年会」というと、年末に催される宴会のことを指すが、「年忘れ」というと、宴会に必ずしも限定されない。起源はよくわかっていないようだが、古くからの風習ではあるようだ。
たとえば、室町時代に連歌会を記した記録には「若者とともに(自分の歳=年齢を忘れて)連歌会の納会でこの1年の上達を喜び合った」という記述がある。下の絵(『慕帰絵々詞』国立国会図書館蔵)は室町時代の連歌会の様子だが、全の用意がされて酒食が運ばれている。
昔は一年が終われば「歳を重ねる」、いわゆる「数え年」であったので、いわば誕生日の前祝いという側面であったということなのだろう。
貝原益軒(1630~1714)の『日本歳時記』には、「目上の人を交えて酒を酌み交わし、1年間を無事に過ごせて、年を越せる(数え年で1つ歳を重ねることができた)ことを喜び合う」のが年末のしきたりだったとある。室町時代の「歳忘れ」の精神がまだ、江戸の世にも残っていることがうかがえる。
芭蕉には、
半日は神を友にや年忘れ
という句があるが、これは元禄3年師走、京都鞍馬の上御霊神社の神官小栗栖祐玄(俳号=示右)に招かれて忘年歌仙を巻いた折の挨拶吟である。
表記のうえでは「年忘」と「れ」を送らないこともある。
【年忘れ(上五)】
年忘老は淋しく笑まひをり 高浜虚子
年忘れ嫌ひな人と並び坐し 片山由美子
【年忘れ(中七)】
【年忘れ(下五)】
朝の間に文使ひして年忘れ 井上井月
とんとんと上る階段年忘れ 星野立子
忘れたき年なればとて年忘れ 能村登四郎
むらさきを着るときめたり年忘 宇多喜代子
悪相の九絵食いつくす年忘れ 宇多喜代子
アジトから男が届く年忘 櫂未知子
天井にとどくゴムの木年忘れ 岸本尚毅
酔うて泣きデザートを食ひ年忘 岸本尚毅