筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ【季語=夜光虫(夏)】

筆先の紫紺の果ての夜光虫

有瀬こうこ

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先月は私の所属する「とちの木」を軸に語っていったけれども、ここからの4週間分の記事は少し趣向を変えて、もっと多様な俳人を眺めていきたい。とはいえ、その手始めとなる今回は、やはり私の所属するもう一つの結社「いぶき」の俳人、有瀬こうこに登場してもらうのだけれど。

第九回円錐新鋭作品賞(逃げ水賞)に第八回俳句四季新人賞奨励賞と、有瀬こうこの快進撃が今年続いている。掲句は、俳句四季新人賞奨励賞を獲った作品「母系」のなかの一句。一読して容易には意味を掴めない、というか、句の意味内容を理解しようとする試み自体をすり抜けていくようだ。「筆先の紫紺」というのは筆先に凝縮する墨汁、あるいはペン先に潤うインクの色を指しているのだろうか。ここまではまだよいとして、その「果て」と言われると分からない。そもそも筆「先」ときたのに、さらにその「果て」があるというのか。あまつさえ、季語「夜光虫」へ連なる「の」をどう捉えるかというさらなる難問が待っている。ここは緩い切れがあるととるか、連体修飾していくととるか……。

俳句四季新人賞の選考会では、選考委員の岸本尚毅氏が彼女の作品全体の印象として、句に入れられている名詞のそれぞれは分かるのに映像を結ぶことができないという旨のことを語っているが、筆者としてもその感覚はよくわかる。だが、それでもなお彼女の作品に魅力を感じるのも確かだ。同じく選考委員の対馬康子氏が、その魅力の言語化に難儀しつつも彼女の作品を1位に推しているが、その感覚もまったくもってうなずけるのである。

同作品の他の句もいくつか引いてみよう。

折鶴のかほ下を向く薄氷

母系とは白木蓮に触れること

藤棚の房の長さを入内かな

ほうたるや浅き眠りへ真珠の香

勾玉に古語の湿りや野分立つ

花野から秘密の漏れるマリア仏

まばたきに小舟の浮力冬に入る

狐火とはぐれてからの祈禱室

いわば、悟性ではなく美的感性によって言葉が把握され、配列されていると言えるだろうか。だから、読者としても、(一般的に言葉の意味を認識するときのプロセスがそうであるように)彼女の句を悟性で受け止めてしまうと「よくわからない」ということになってしまうだろう。

しかし、そんなふうに言葉を悟性ではなく感性の管轄に移入させてしまうことで、言葉から既成概念や一般通念という着物が剝がされる。そうすることで、言葉同士が無垢な象徴作用を放って絡み合い、独特な手触りの一句が構成されるのだ。そんな采配を成し得る絶妙で唯一無二の感性が、有瀬こうこの作家性だと言えるのではないか。

ところで、こうした作風は有瀬こうこの現時点での一つの到達点であり、試行錯誤の果てに獲得されたものであるということは、同結社の仲間として記しておかないわけにはいかない。

〈オムライスの旗はブラジル小六月〉、〈正露丸ばらばら床へ開戦日〉、〈春といふふはふはのものとしまえん〉、〈佐保姫にコサージュつけて褒める役〉、〈冷蔵庫仮想通貨を押し込んで〉、〈夏は嫌ひ夏は嫌ひとバイトの子〉、〈花野宛ならモナリザの切手貼る〉など、彼女の過去作をいくらか眺めてみると、俳句四季新人賞奨励賞の受賞作などにくらべていくらか分かりやすいという印象を受けるのではないだろうか。これらは、季語とそれ以外の風物の取り合わせというごく一般的な俳句的構成をとっており(その取り合わせのセンスにやはりこうこ節が感じられるけれども)、読者が映像を結ぶことはさほど難しくないだろう。

いうなれば、彼女のこれまでの句は、たとえば佐保姫の衣装にコサージュをあしらって、その仕上がりを褒めそやす侍女を描くなど、一句全体が織りなす観念の新奇性で勝負しているところがあったのだ。しかしながら、この手のおもしろさは、一歩間違えると、いわゆる大喜利的な発想遊びに向かってしまうおそれがあると思う。いま挙げた過去作がそういう俗に落ちてしまっているというわけではないけれど。

それに対して、俳句四季新人賞奨励賞受賞作など、このごろのこうこの作は、その位相からすっかり脱皮している感がある。わかりやすい観念のおもしろさを捨て、その代わりに詩としての聖性を探究しているように見える。季語とそれ以外の取り合わせではなく、まるで一句中の全単語同士が取り合わせになっているかのような、高度に象徴的な言葉の配列によって、意味論的領域を超越した純粋に詩的な美学の沃土を開拓しようとしているのだ。

果たして、こうした道行きを、有瀬こうこはこれからどこまで深化させていくだろうか。彼女の俳句四季新人賞奨励賞受賞を記念する特集ページも組まれた「いぶき」二十九号では、共同代表作品(今井・中岡両代表が毎号10句ずつ掲出する)に中岡代表がこんな句を出している。

これからも励めつばくらつばくらめ  中岡毅雄

(山川太史)


【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi



【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲

【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子
〔7月17日〕蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇 冬野虹
〔7月18日〕宿よりは遠くはゆかず夜の秋 高橋すゝむ
〔7月19日〕蟬しぐれ麵に生姜の紅うつり 若林哲哉
〔7月20日〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
〔7月21日〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
〔7月22日〕闇よりも山大いなる晩夏かな 飯田龍太
〔7月23日〕ハイビーム消して螢へ突込みぬ 岩田奎
〔7月24日〕水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補
〔7月25日〕夕立の真只中を走り抜け 高濱年尾
〔7月26日〕短夜をあくせくけぶる浅間哉 一茶
〔7月27日〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
〔7月28日〕おやすみ
〔7月29日〕夏帽子大きく振りて角曲がる 大角泰子
〔7月30日〕どの部屋に行つても暇や夏休み 西村麒麟
〔7月31日〕水羊羹のなかに棲みたる遠さかな 佐々木紺

【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕なし

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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