【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年2月分】


【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2023年2月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」、2023年もやります! 今回は10名の方にご投稿いただきました!ご投稿ありがとうございます。(掲載は到着順です)


綿虫や親と子としてゐる不思議

吉野まつ美

「いには」2023年2月号より

 冬の季語の定番、綿虫を実際に始めて見たのは東日本大震災後の福島県。雲の低く垂れこめた陰鬱な初冬の一日、雪がちらついてきたと思って掌を拡げたら、そこにふわりと降りてきたのは小さな翅をもった虫。「これが綿虫か」と一人感動した。綿虫は熱に弱く人間の掌の体温でも死んでしまうような実に儚い生き物だ。
 さて掲句。日頃必然的で確実なものと思っている親子関係も、受胎のタイミングが少しでもズレていれば無かったはず。そう考えると誠に不確実で儚いものと思えてくる。綿虫との配合により親子関係が今生における一期一会の大切なものと再認識させられる佳句。

種谷良二/「櫟」)


山眠る金色の間の鳥獣

星野早苗

「南風」2023年2月号より

久しぶりにふるさとへ帰ってきたら
山はすっかり眠っている
夕焼けは金色に輝いて
そら一面にまぶしくて
山と金色の間には
おひさまの御殿が立っていて
ふと気が付くと
眠っているはずの山は
私を呼んでいる
あっという間にワープして
そこは御殿の金色の広間
ねむっているはずの鳥や獣たちは
目をさまし
金色の広間には
ねむっているはずの鳥や獣たちが
私のために歌いだし
私のためにおどりだす
やがてそれらは雲となり
やがてそれらは
夕闇にきえてゆくのかな

月湖/「里」)


書割のまだ濡れてゐる秋日かな

梅田実代

「南風」2023年2月号より

晴れあがった秋空の下、壁に立てかけた書割はまだ濡れています
湿気に撓んだ模造紙は重たげで、手製の木枠は少しばかり頼りなく見えます
裏に回ると、日に透けた模造紙のところどころに刷毛の残した絵の具の溜まりが影を作っていました
秋の日差しにはいつも夕暮れの色があります
書割に差す日が傾き、赤みを帯びて、やがて暮れるまで、文化祭の準備は続くのです

土屋幸代/「蒼海」)


全世界止まらぬものに乗りて冬

円城寺順子

「秋麗」2023年1月号より

簡単な謎々を読んだつもりだった。全世界が乗っている止まらないもの。それは地球。それで掲句の読みは終わるはずだったが、もしかして、全世界は、もう降りることのできない時代の流れに乗って冬を迎えているのか。そう思ったらとてもおそろしくなってきた。掲句が簡単な謎々からSF小説の書き出しに変わった。小説には結末があるけれど、俳句の読みの結末をどうするかは、読者に委ねられている。今日のニュースを見ながら止まらぬものの正体を考えてみよう。

高瀬昌久


さういへば漱石の忌や燐寸擦る

山口遼也

「秋草」2023年2月号より

漱石は49歳で亡くなった。そういえばあの人は元気だろうか、そういえばあの人にお線香を、と誰かの死を想起することが誰かの存在を想起するきっかけとなることがある。「さういへば」といえるのはすでにその存在が安定して心に住みついている証拠だろう。ちょっとやそっと忘れていたとしても、いやむしろそのくらいの方が相手を安心させる場合だってある。作者は誰のために燐寸を擦ったのだろうか。誰かのためにではなく自分のためかもしれない。はあ、漱石と同じ歳か、とため息まじりで煙草に火をつけるとか。まあ、そう思ったのは私なのだが。

岡本亜美/「蒼海」)


湯豆腐も背戸の夜風も裏がへり

五島節子

「火星」2023年1月号より

旧仮名遣いの「へ」が生きている。実際の読みの音「え」に切り替える時、声や空気が裏がえるような感覚がある。夜風が背戸に当たることで空気が歪んだことが「裏がえり」であろう。また、このように寒い日には、掬う時にふわりと裏がえった湯豆腐が五臓六腑に染み渡ったことだろう。性質の全く違う二つの裏がえりを「も」で並べることで、対比がより鮮やかになっている。背戸にあたる風の音を聞きながら歩いている時、ふと通りの家の窓を覗くと家族が湯豆腐を囲んでいる、それを見つめる想像の中の私自身が温かい。

弦石マキ/「蒼海」)


消火器の万年埃冬に入る

峯尾文世

「銀化」2023年2月号より

この句を読んで、夫の実家の台所にある埃の溜まった消火器を思い出した。行くたびにうちの子どもが触りたがるものだからハラハラしてしまう。「埃、すごいですね」とは言えない。この句は、「万年埃」という表現の切れ味がすごい。何年も消火器の出番がないのはいいことだけれど、問題なく機能するのか確認しておきたい。ついでに埃も綺麗に拭っておきたい。火事が多い冬に入る前に。この危機感のなさにツッコミを入れつつ、おおらかな人柄が思われて、なんだかほっとする一句である。

千野千佳/「蒼海」)


書割のまだ濡れてゐる秋日かな

梅田実代

「南風」2023年2月号より

書割は、歌舞伎の用語で、大道具に属する張物や背景幕に、建物、風景などを遠近法によって書いたもの。柱、壁、戸または山河などをいくつもの張物に割って書くことから、この名が生まれたという。歌舞伎の舞台ではなく、屋外で描かれ、秋の日の下に置かれ、乾かしているような情景なのか。歌舞伎の演劇の場面で秋の日が書割を濡れているように照らす場面なのか。作者に聞いてみたい。

野島正則/「青垣」・「平」)


山眠る金色の間の鳥獣

星野早苗

「南風」2023年2

月号より

「金色の間」とは何だろう。秋の名残を留める山裾のこと、もしくは黄昏時のことか。「鳥獣」は個体ではなくカテゴリーを指していると考えれば、これは具体的な景ではないのかも知れない。金箔の屏風絵、襖絵。古墳の中の部屋、洞窟の壁画。あるいは「鳥獣」の集う釈迦入滅の場面など。これらすべてが「山」の見ている夢のようだ。「山眠る」時、世界は再生する。「眠る」の一語から最大限に引き出された一句だと思いました。

加能雅臣/「河」)


みずおとにみなのふりむくふゆのいけ

川原真理子

「銀化」2023年2月号より

日差しがあっても空気が冷たい冬の庭園や公園は、人もまばら。からんとした空間は、何をするでもなくひとりの時間を楽しむには格好の居場所である。このみずおとは水鳥が飛び立つ音だろうか。静寂を破る突然のみずおとに驚いて、一斉に顔を振り向かせる人たち。けれどもほどなくそれぞれの世界にまた没頭してゆく。一瞬をやわらかなひらがなで切り取っている。かの有名な「古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉」と合わせて唱えると、ふしぎなしりとりのようで、いにしえと現代を行き来している気分になれる。

藤色葉菜/「秋」)



→「コンゲツノハイク」2022年12月分をもっと読む(画像をクリック)


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