【書評】『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 大牧広』(ふらんす堂、2017年)

反骨のなかの洒脱
――『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 大牧広』(ふらんす堂、2017年)

堀切克洋(「銀漢」同人)

その大牧広(1931-2019)は、「反骨の人」であると形容される。たとえば、上記の本のなかでも、大牧自身が次のように書いている。

なにか私の俳句は「反骨・洒脱」というレッテルが貼られている。このレッテルは、決して悪くない。だから、そのレッテルに背かぬ俳句を、という思いが胸を占めている。

ここでは「洒脱」は措き、ひとまず「反骨」についてだけ見ておくなら、それはやはり少年期の体験した戦争を「人の愚かしさ」として語りつづける、という身ぶりと切り離すことができない。

遠い日の雲呼ぶための夏帽子(『父寂び』昭和46年)

作者の解説によれば、これは「決戦の大空へ」という戦時中のプロパガンダ映画のポスターの記憶から発想されたものであるという。そのような自註がなくても、作者の世代さえわかれば、「遠い日」が暗示しているものに思いを馳せることは、そう難しいことではない。この句が「ベスト100」の巻頭句となっている。

日本の負けいそぐとき卒業す(『午後』平成3年)

大牧は昭和一桁世代だが、その後半に当たる1931年に生まれているため、大戦末期に兵士として戦地に動員されるという経験をもっていない。もちろん、大牧少年が当時、日本が「負け急いでいる」と戦況を冷ややかに見ていたかどうかはわからないが、戦争の被害者であるという意識が強いのは間違いなく、「戦後民主主義」と呼ばれる平和思想は、彼にとって「正しさ」の意味をもつ。

  進駐軍の尻の大きさ雁渡る(『大森海岸』平成22年)

この「尻の大きさ」は、筋骨隆々としたアングロサクソン系の兵士に抱いた感情の回顧である。彼らには「仰ぎ見るような格好の良さがあった」とナイーブに言ってしまう大牧の言葉には、アイロニーは感じられない。ジョン・ダワーの言葉を借りれば、大牧はまさに「敗北を抱きしめて」いるのだ。

特攻の叔父の夢見し暁けの蟬(『地平』平成27年)

大牧の叔父は海軍の軍人であった。大牧は、「私の生涯に、あれほど泣いた記憶はない」と自註をほどこしている。こうした環境も「平和」を希求するひとつの強い動機となっているのだろう。

大牧の俳句の特徴のひとつは、目の前の現実(「夏帽子」や「雁」や「蟬」)によって過去の記憶が再現前化される、という点にある。そこには前述のような政治的態度が前提とされている。にもかかわらず、彼の俳句世界はけっして重苦しくなく、むしろ「軽み」が感じられる。その理由は、もうひとつの特徴としての「洒脱」がつねに意識されているからである。

股引を穿くきつかけは訃報なり(『午後』平成2年)
やや長き外套着ればダダになる(『風の突堤』平成13年)
パリ映されて大寒波来るといふ(『冬の駅』平成18年)
咳さへも正しく芸術院会員(同上)
冷麦を数回すすりどつと老ゆ(『大森海岸』平成21年)

大牧広は、「反骨の人」と言われるが、それはこうした「洒脱」があってこそなのである。そして、大牧広の句に愛おしさを感じるとすれば、どちらかといえば、「洒脱の人」である側面のほうなのだ。

洒脱な句では、形式的に見ても、(それほどの破調はないが)句またがりや大胆な字余りが多く見受けられる。言葉遣いも散文的な日常語に接近しており、〈60年代的なもの〉とは一線を画している。(ちなみに、大牧の「洒脱」という側面をもっともベタに継承したのは、現代活躍中の作家では、櫂未知子であろう。)

反骨の戦時回想詠と、洒脱の自嘲的人事詠。その両方がレコードでいえばA面にあたる。

ただし「洒脱」と「反骨」では、季語の役割が根本的にちがっている。〈洒脱タイプ〉の句には「切れ」が弱く、季語は現実の「もの」を示す。逆に言えば、日常生活で目につく季語を、自身の生活にひきつけてユーモラスに詠んでいる、ということである。

しかし〈反骨タイプ〉の句では、多くの場合、措辞が自身の判断を示すフレーズとなることから、季語は全体の背景にならざるをえない。べつの言い方をすれば、措辞を包み込むものとして、季語は事後的に「とってつけられる」。

前述の例でいえば、〈進駐軍の尻の大きさ雁渡る〉の「雁渡る」の部分に入る季語は、〈パリ映されて大寒波来るといふ〉の「大寒波」の部分とは異なり、さまざまな可能性が残されている。

このあたりは、石田波郷の〈雁や残るものみな美しき〉や加藤楸邨の〈鰯雲人に告ぐべきことならず〉のような作り方を受け継いでいる。あるいは、最近でいえば、小川軽舟の〈死ぬときは箸置くやうに草の花〉も同様である。

しかし同時に、こうした句と比較してみれば、そのいずれもが戦争や死を題材にしているにもかかわらず、大牧広の句には、それほどの「深刻さ」も「ロマン」も感じられない。そこがちょっと不思議なところだ。

ひょっとすると、むしろ反骨のなかに洒脱が含まれていると考えたほうがいいのではないか。そうであれば、反骨「と」洒脱という並列の助詞は、大牧広の句業をミスリードしていることになる。そもそも、「反骨」とは何なのか。そんなことを含めて、これからさまざまな大牧広論が書かれることになるのだろう。

話を冒頭に戻すと、1971年に「沖」に入会して40代で俳句をはじめた大牧広が「港」を創刊主宰したのは30年前、すなわち1989年のことである。つまり、この結社の活動時期は、平成という30年間とまるまる重なり合っていることになる。

ちなみにこの間、30年間天皇の位にあった明仁は、1933年生まれで、大牧と2歳しか違わない。「平成」という時代に、「港」を通じて、大牧広が何を成し遂げ(なかっ)たのかは改めて考えてみる必要があるだろう。

【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。

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