【第6回】ポルトガル――北の村祭と人々2/藤原暢子


【第6回】
ポルトガル――北の村祭と人々2

藤原暢子(「雲」)


「私らの友情は一本の糸でつながっているんだよ」

 初めて知り合った際の別れ際、アナは私にこう言った。彼女との出会いは2018年、ポルトガル北東部にある、オウテイロ村の祭りがきっかけだった。

 私は、ポルトガル北東山間部の村々に伝わる、カトリック起源ではない、一説によるとケルト起源とも言われる、古い祭礼の撮影をここ十年ばかり続けている。様々の類の風習が残っているが、その中でもやや異形めいた姿をしている「シャローロ」という、何十個ものパンで組まれた御輿を追って、訪ねた村のひとつがオウテイロ村だった。

 オウテイロ村の聖ゴンサロ祭は年明け、聖ゴンサロの日に近い週末に行われる。私は前もって日程確認のため村長宛てに連絡をとり、運良く、一番興味のあった御輿の制作過程から、見せてもらうことになった。祭りの二日前の木曜日、逗留していた最寄りの街ブラガンサから一日二本だけのバスに乗った。村の広場にある集会場の共同窯では、その年の世話役達がちょうど火を入れたばかりの窯で豚肉を温め、昼食をとっていた。そして気づくと、自己紹介が終わるか終わらないかの内に、彼らに勧められるまま、私も同じ肉とパンを頬張っていた。

 その場にいた十人ほどの世話役の内の一人がアナだった。当時八十九歳。痩身で目に力があり、はじめはちょっと怖かった。でも一緒にパン生地を並べ、手渡し、成型している間に、アナも含め、世話役の皆と打ち解けていった。世話役の多くが六十代前後といった歳頃で、皆、私より年上だったのも、暖かく迎え入れてもらえた理由のひとつだったのかもしれない。

村の集会場の共同窯での準備の様子。左奥の白髪の女性がアナ。

 シャローロの御輿を組むためのパンの形は、「ロスカ」と呼ばれる突起のついたドーナツ型のもの、馬に乗った聖ゴンサロに、男女の人型。ロスカは単体で、他のいくつかの冬至の祭りでも登場する。諸説あるが、他の村では太陽の形を表しているという話も聞く。また、人型のパンの胸には、アルファベットを入れる。その昔、世話役は若い未婚の男女が務め、人型のパンの胸へ想いを寄せる相手のイニシャルを入れ、祭りの中で行われる競りで、好きな相手のイニシャルが入ったパンを必死で競り落としていたのだと言う。女性陣は、男性型の人形の胸に、夫のイニシャルを入れていた。少女にもどったように、はしゃぐ姿がかわいらしかった。

 初日、何十個ものパンを焼き上げたところで、22時近く。仲良くなったアナの娘のジェナが、その日はブラガンサの街の自宅へ戻るということで、車に乗せてくれた。そして翌日金曜日、準備二日目にして、私はアナの家で、アナと二人で自家製の腸詰を焼き、食卓を囲んでいた。

「明日も昼のバスで来るなら、母の家で一緒に昼食を食ればいい。」

初日に一緒にパンを焼きながら、ジェナがそう声をかけてくれたのだ。おまけに、翌日である祭り当日は、土曜でバスがないことから、金曜の晩からジェナたちと一緒に、私もアナの家に泊まればいいと言う。

シャローロを教会へ運ぶ前の記念写真。中央が著者。その隣がジェナ。

 準備二日目、昼過ぎに集会場に行くと、すでにシャローロの形はほぼ出来上がっており、午後からは仕上げの飾り付けが始まった。私もまた一緒になって手伝い、干しイチジクやキャンディ、ワッフルに糸を通し、シャローロのあちこちに巻きつけた。夜までかかって、その御輿はクリスマスツリーのように、可愛らしい姿になり、翌日の祭りのため、教会へ納められた。

 祭りの当日、朝食はロスカのパンだった。世話役の家の特権だ。パンの主な材料は、粉の他に、卵、バター、ポートワイン、アグアルデンテ(蒸留酒)、オレンジの皮に果汁。とっても風味がよくて、軽くトーストしてバターを塗って食べると最高なのだ。

 朝のミサの後、聖ゴンサロの像を乗せた御輿とシャローロが教会の周りをぐるりと一周して、渡御はおしまい。盛り上がるのは、むしろ午後の競りからだった。普段は街や、国外で働く村出身者達の帰省もあり、祭りには多くの人が集まっていた。晴天の空の下に置かれたシャローロの前で、まずはダンスが始まる。ダンス用に取り置かれたロスカを男性側が片手に持ち、世話役の男女それぞれが列を作り、向かい合う。

「ヨーコも入れ!入れ!」

 世話役の皆に誘われたのが嬉しくて、撮影そっちのけで私もダンスに加わってしまう。両手を空にあげて、バグパイプと太鼓の音楽にのって、男女がお尻をぶつけ合う愉快なダンスだ。その後、シャローロのパンはひとつひとつ競りにかけられる。縁起物らしく、通常のパンの価格より高い値だが、人々は皆「美味しくて毎年楽しみにしているの」と言っては、次々とパンを買い上げていった。シャローロは主軸の金属だけを残して空っぽになった。

教会の中、渡御を控えたシャローロ。手前は聖ゴンサロの御輿。

 午後、そして夕方から夜にかけて、バグパイプの音楽とともに、村中の家を一軒一軒まわる。人々は訪問ごとに家の前で先ほどと同じダンスを踊り、笑い、各家ではワインや自家製のリキュール、たくさんのお菓子で人々を迎える。最後にアナの家に戻ってくると、アナと孫のミゲルが二人でダンスを踊り、抱き合った。大勢の人々が見守る中、忘れられないシーンだった。

午後の競りの様子。

 アナ達と一緒に過ごしたのは、正味たった三日だ。でも祭りの翌日、バスの時間が近づくと、どうにも別れが辛くて泣けてきてしまう。そんな私に、アナが言ってくれたのが、冒頭の言葉だった。これが魔法の言葉だったのか、その後も、夏季と冬季の休暇の度にポルトガルを訪ね、彼女とその家族に会い続けている。アナ達と一緒に過ごす中で、私の第一句集にも収めた〈星飛んで家族のやうになつてゐる〉や、〈大年の黒き鉄鍋鶏煮ゆる〉のような句が生まれた。冬になると村ごとに豚を絞め、暖炉に火を入れ、生ハムや腸詰を各家で仕込む。古い生活様式が残る村、彼女のそばで過ごすことは、私の俳句にも大きな影響を与えている。

 アナを最後に尋ねたのは2019年の年末。新型コロナウイルスの影響が長引き、彼女の元を離れてから丸二年になる。でも、我々の間には一本の糸がある。彼女の言葉で紡がれた糸が、再び我々を結びつけてくれると信じて、今はただ、再会の時を待っている。

祭りの最後のダンスを終え、抱き合うアナと、彼女の孫のミゲル。

【執筆者プロフィール】
藤原暢子(ふじわら・ようこ)
1978年鳥取生まれ。岡山育ち。東京在住。2010年から2012年は、ポルトガルの首都リスボンで過ごす。2000年夏「魚座」入会、俳句を始める。2006年「魚座」終刊。2007年創刊より「雲」入会。2017年から2019年「群青」へも参加。現在「雲」同人。俳人協会会員。第10回北斗賞受賞。第1句集『からだから』(文學の森/2020年)。ポルトガルにて写真を学び、写真家としても活動。


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