
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
子規は、「くだもの」といふエッセイのなかで、「柿などといふものは従来詩人にも歌よみにも見放されてをるもので、殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつたことである」と書いてゐる。このときの「柿」は、いはゆる甘柿のルーツである御所柿だつた。子規は柿を7、8個も平らげてゐたといふけれど、小ぶりな品種なので、さもありなん。いや、8個はやつぱり食べ過ぎか。御所柿は晩生種なので、早いものでも11月上旬からの収穫となるさうだ。子規が松山での療養生活を切り上げて、奈良に遊んだのもまさに10月下旬のこと。立冬も間近な晩秋の句なのである。
さらりと療養と書いてしまつたが、この句が作られたのは1895年のことで、つまるところ、日清戦争の従軍記者として喀血した、その年の句。科学的に見ても、柿はとても栄養価が高いので、単に子規が柿好きだつたといふことを超えて、彼にとつての柿は「薬」だつたのかもしれない。柿の甘さが、体全体に染み渡つていくかのやうだ。
この「栄養/甘さが体に浸透していく感じ」と、「遠くの鐘の音に耳を澄ませる感じ」は、感覚の方向性として、逆を向いてゐる。内側に向く感覚と、外側に向く感覚。その両方に共通してゐるのは、感覚刺激がすーっと遠くに消えていくような感覚である。それはどこか、死ぬときに意識が遠のいてゆく感じと、似てゐるのかもしれない。意識が遠のくにつれて、柿の甘さが体に染み渡るやうにも感じられ、そしてまた遠くから鐘の音が聞こえてくる。
(堀切克洋)