銀漢亭 Oh!句会をもう一度
朽木直(「銀漢」同人)
少し古いところから入る。銀漢亭に私が初めて行った日の新聞記事のスクラップが手元にある。日付は2007年11月9日。当時、新聞記者をしていた。団塊世代の定年退職を控え、定年後の生活の一助にと無趣味の記者が先導するシリーズの一つだった。取材テーマは自分の好き勝手に選んでいた。歌舞伎、能の鑑賞・体験、野鳥観察、エキストラなど。俳句取材の直前はネパールへ行ってシニア海外ボランティアの取材をしていた。
掲載の画像をハードディスクに探したら2007年10月13日とあった。今からほぼ13年前になる。銀漢亭の店内も、亭主の伊藤伊那男さん(「銀漢」主宰)も最近とあまり変わらないように見える。
鰻の寝床のような細長い店内と、選句する時の神妙な静けさ、終わってお酒を交わす参加者の打ち解けた表情が印象に残った。でも、それで銀漢亭に通うようになったわけではなかった。連載の取材テーマはそれぞれに面白く、すべての連載が終わってからどれかを自分の趣味に選ぼうと思っていた。
きっかけは、その年の暮れ、小滝肇さんからの一本の電話だった。「銀漢亭でOh!つごもり句会があるけど、飲みに来るだけでもどう」という誘いだった。「でもせっかくだから句を作ってきてね」。酒を飲みながらが良かったのか、何とか席題の句も出した。かなり酩酊した人から「始めたばかりにしてはなかなかいい」などと褒められ、その心地良さに銀漢句会への参加を決めた。初心者を褒めるのは俳句の常道ではあるのだが。
そのOh!句会の裏方に、2012年ごろから加わった。年4回の開催。Oh!花見(3、4月)、Oh!納涼(6、7月)、Oh!月見(9、10月)、そしてOh!つごもり(12月)。平日夜開催のOh!月見以外は、週末の午後1時から午後7時過ぎまでの会。10を超す結社、フリーの俳人を合わせ30人から50人近く。40人台ともなるとかなりの混雑となる。選句の時など、「ちょっと、背中貸してね」と人の背中で選句用紙に書いたり、「もう酸欠になりそう」と外へ出る人もいた。コロナ禍の今から見れば、まさに「三密」そのものだった。
たいていは、小川洋さん(「天為」同人)差し入れのヴーヴ・クリコ(それも2本)を亭主の伊那男さんがうれしそうに開栓して、「今日も大いに楽しみましょう」とみんなで乾杯して始まった。
亭主手作りの料理が並べられ、焼きそばは特に人気があった。たくさんもの差し入れの銘酒、ワインなどのお酒、値の張る逸品やおいしい食べ物も楽しみだった。参加者による清記の分担や、用紙の配布・回収も回を追うごとに速やかに運び、初めて参加した人がそのスピードに驚くことも多かった。あらためてご協力に感謝したい。
飲みながらの句会ならではの話も。句会では披講を録音していた。席題の2度目、3度目ともなるとお酒が回って自分が作った句も忘れてしまう。句会後に句会記録を配信するが、「私の名前で入っているが、この句は作った覚えがない」と電話が掛かってきたこともある。清記用紙の点盛りを伝えても容易には承知しない。録音を聞き直して本人の声での名乗りを確認し、その旨を伝えて納得してもらったこともあった。
今年3月のOh!花見句会は、コロナの感染拡大を受け、直前にやむなく中止となり、そのまま銀漢亭は店を閉じた。さて、Oh!句会はどうしようと思っていたら、何人かから、いずれ再開を、との声が届いた。再開するなら、こういう店があるよ、との具体的な提案も含まれていた。
伊藤伊那男さんと相談して、「とにかくコロナ禍が収束したら、考えることにしましょう」ということになった。多人数の句会だけに、まだ先のことになりそうだが、いずれ再開する時は、会の名前はぜひ、もう一度「銀漢亭Oh!〇〇句会」でと個人的には思っている。みなさんにお会いできることを楽しみにしています。
【執筆者プロフィール】
朽木直(くちき・ちょく)
1953年、愛知県生れ。元東京新聞編集委員。2010年、銀漢俳句会創立同人。当初は「宙組」とも呼ばれた銀漢小句会「宙句会」幹事。俳人協会会員。