【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2023年11月分】
ご好評いただいている「コンゲツノハイクを読む」、2023年もやってます! 今回は10名の方にご投稿いただきました。ご投稿ありがとうございます。(掲載は到着順です)→2023年11月の「コンゲツノハイク」はこちらから
吾が影も休ませてをり片かげり
武井まゆみ
「銀漢」2023年10月号より
夏の真昼、作者は外出した。役所の手続きか、買い物か、趣味集まりか、冷房の効いた部屋で過ごし、用事が一つ片付いた安堵感とともに、炎天下へでた。歩くと汗が流れて来る。一息できる場所を探すと、ちょうど片影を見つけた。身を入れて一時、涼しさにほっとする。気が付くと吾影も片影にいた。作者は、もう一度安堵する。片影に入ったの自分の気持ちを影にたくした一句である。
(加瀬みづき/「都市」)
人間に追跡番号秋暑し
梅津紀子
「いには」2023年11月号より
立秋が過ぎても暑さきびしいよ脱ぐに脱げない追跡番号。ひとりひとりに番号、そして地球に集合。ところで、追跡される体がなくなったら追跡番号は何を追跡するのだろう。21グラムの魂をどこまでも追跡するのだろうか。Oh, my God!口座番号、暗証番号、電話番号。遺言に書いた番号ながめたら瞼がとても重くなります。そうだ。追跡番号なんか捨てて風になろう。刺客のようなつむじ風になろう。追跡番号の8を縦に割いて3にしてやる。追跡をかわして消える鎌鼬。
(高瀬昌久)
手を挙げてマイク貰ひぬ雲の峰
加藤ゆめこ
「鷹」2023年11月号より
なにかの説明会や勉強会を想像した。最後に「質問はありますか?」と言われ、手を挙げてからマイクを貰うまでのあの数秒間。よくぞそこを俳句にしたと思う。大勢の前で話すときの緊張感と、季語「雲の峰」がよく響き合う。鷹俳句会のホームページをひらけば小川軽舟主宰の評を読むことができるが、そこでは説明者に対する作者の静かな疑念と読まれていて、なるほどと思う。そこで紹介されていた同じ作者の「星涼し復職の日の夜の素麺」も現代的な実感がありとても惹かれた。
(千野千佳/「蒼海」)
ファスナー開く体内は寒い海
渡辺のり子
「海原」2023年10月号より
そこは快晴のゴルフコース
最初の一打をと
テイクバックしたとたん
男は倒れた
深海の神が突然現れ
一瞬でそこは海底に
深海の神にその男は選ばれたのか
その男の胸のファスナーを開けると
そこは寒い海
心臓は止まりもう動けない
肺からは寒い海水があふれ
口から漏れ出している
その男は
寒い海となり
帰らぬ人となった
(月湖/「里」)
鵜篝や舟釘赫き錆び浮かべ
青山酔鳴
「雪華」2023年11月号より
鵜舟は槇材で造られることが多く、作り手が少ないこともあり、十年以上使われているものもあるそうだ。独特な形状の舟釘は三種使うという。
鵜飼がたけなわになり篝火が暗がりをぱあっと照らした時、作者の目に留まったのは舟釘。
今や赫く錆びてしまっているが、『万葉集』にも書かれた脈々たる歴史を体感できる伝統行事を、根本で支えているであろうひとつは、実はこの舟釘なのだ。
作者はそんな舟釘の赫い錆びにふと気づき、愛しさを感じ、さまざまに思いを馳せたのではないか。
今回、特に印象に残った秀句だった。
(明 惟久里)
裏側も見て来し蜘蛛が卓の上
西生ゆかり
「街」2023年10月号より
蜘蛛は積極的に裏側を見たりしない。裏に回れば当然裏側も見て来たのだろう。そのくらいの捉え方で無理な擬人化と思わない。何の裏側か書いていないので「裏側」に奥行きが出る。このたくらみを嫌がる人は採らないだろう。筆者はむしろ蜘蛛への優しい眼差しを感じ、蜘蛛と共に裏側を思う。裏側「を」ではなく「も」なので、裏も表も知った上で佇む泰然とした存在感または呆然とした虚無感が生じる。そして、小さくても大きい生命感を感じとるだけでここに季感など不要だろう。ところで、筆者としては「見て来た」の方が生々しく感じる。日常生活は口語で生きているからだと思う。「見て来し」となると「虚」に寄る。文語表記は安全な虚構圏域を創り出す俳句的舞台装置の一つだ。読者は舞台上ではなく観客席にいればよい。そしてそれを面白がればよい。
(小松敦/「海原」)
炎天へ出でて一服刀鍛冶
塚本一夫
「天穹」2023年11月号より
一塊の玉鋼から一本の日本刀ができあがるまで、長時間火と対峙する刀鍛冶。高温で熱した塊を叩いては冷やし、また熱する。こうして刀の強度を高めながら打ち延ばし、ひたすら鍛錬を繰り返す。常に800℃~1000℃の火を眼前にして、刀鍛冶の表面温度、体内温度は相当のものと想像できる。仕事の集中力を解き、一区切りつけて一服する「炎天」は刀鍛冶にとって束の間の涼しさなのだろう。冷ややかな水で喉を潤して、刀鍛冶は再び己と向き合う鍛冶場へかえってゆく。
(藤色葉菜/「秋」)
火取虫あの世の片端にこの世
望月士郎
「海原」2023年10月号より
火取虫と人の死を取り合わせた句は他にもあるが「あの世の片隅にこの世」があるとした掲句に私は安らぎを覚えた。私もそのように考えたいと思った。つまりあの世は奈落にあるのではなく、この世を温かく包みこみ、そうして私たちのことを穏やかに待っているものなのだ。母親が子宮で胎児を育むように。そうして私達は死によって光へ放たれるのだ。飯田蛇笏に〈幽冥へおつる音あり灯取虫〉がある。幽冥は冥土の意味を持つ語。夏の夜の火蛾。それは小さなこの現世から、広大無辺なるあの世に戻らんとしているものなのかもしれない。
(北清水麻衣子)
ついと押す闇は舟なり沙羅の花
川田由美子
「海原」2023年10月号より
闇に向かって手を伸ばす。
もちろん手応えはなく、手は空を切るだけ、のはずだ。
しかし思いがけず手応え、感触のようなものが返ってくる。
かと思うと眼前の闇の動く気配。
ゆっくりと、つーっと離れてゆく…舟のように。
或いは、舟に乗っている。
周りは夜闇に包まれ何も、自分さえも見えない。
つい、と竿をさすと当然舟が動き出す。しかし景色は変わらない。
竿の感触と空気を肌に感じるだけ。
闇のなか闇に乗って闇へと漕ぎ続ける。
咲いても一日で落ちてしまう沙羅の花が闇に落ちていくイメージと響きあう。
舟の水平と落花の垂直が重なりあうその刹那。
闇が舟だという美しい喩とその発見に驚いたが、しかしそれは確かにそうだと納得し、そして実感があった。
(田中目八/「奎」)
鯖雲や北へ行きたき旅鞄
中村孝哲
「銀漢」2023年11月号より
「北」へ行きたいのはあくまで「旅鞄」であり、旅鞄の持ち主の思いではない。本当にそうだろうか。本当は旅鞄の持ち主こそが北へ行きたいのではないかと勘ぐってしまう。「鯖雲」から連想される「鯖」は春頃に産卵、豊富なプランクトンを求めて北上する魚。秋頃になると産卵のため南下する。秋、南へ行こうとする「鯖」と北へ行きたい「旅鞄」の間で、そのどちらにも動けない人物の姿が浮かび上がる。抗うことの難しい世の中。そこに生きていることの葛藤を感じた。
(笠原小百合/「田」)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】