啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
水原秋桜子
あまりにも有名な掲句。数多のすばらしい鑑賞がある中で、今さら私などが付け加えることはないのではないかという気もするが、とても好きな句なので取り上げてみた。
山本健吉は『現代俳句』の中で掲句について、「このような句で『牧』というと、日本流の牧場よりも西洋流のmeadowという印象を受けるから不思議である」と書いている。
日本流の牧場と西洋流のmeadowの違いとは何だろうか。「牧場」は「牧」という漢字が「牛を飼う」という意味であることからも明らかなように、牛馬の存在を当然の前提としている。一方meadowは(私は英語が不得手なので細かいニュアンスはわからないが)辞書を引いた限りでは、牛馬よりも植物としての牧草や野草の方に焦点が当たっているように思う。
そう考えると、山本健吉の言とは異なり、 meadow よりも「牧場」のイメージがこの句からは喚起されるのではないだろうか。
『自句自解 水原秋桜子句集』によれば、この句の詠まれた赤城山の牧場では、すでに牛馬は下牧していて馬柵だけが残っていた(「白樺に月照りつゝも馬柵の霧」の項)。春から秋まで牧場の主役として存在していた牛馬の声、歩く音、草を食む音などは消え去り、その空ろを埋めようとするように、啄木鳥のドラミングの音や落葉の降り積もる音が牧場に響く。このことで「いそぐ」という言葉も深い意味を帯びてくるのである。
『葛飾』(1928年)所収。
(鈴木牛後)
【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)、『暖色』(マルコボ.コム、2014年)、『にれかめる』(角川書店、2019年)。