【第13回】
愛の予感
(1989年 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ)
どうして競馬を好きになったのか?
競馬が好きだと言うと、そう質問をされることが多い。わかりやすいので「1990年の有馬記念、オグリキャップのラストランに感動して」と毎回答えている。実際それで間違っていないのだが、それ以前も私にとって競馬は身近な存在だった。
理由は、父の存在である。私の父は昔から競馬が好きで、私は週末のテレビで競馬中継が延々と流れているような家庭で育った。
私が2歳の時、ディズニーランドで撮った写真がある。父と父に抱き上げられている私のシンデレラ城を背景にした写真であるが、父の耳にはしっかりと有線イヤホンが嵌められている。競馬中継を聞いていた、のかどうかは確認したところはっきりしなかったが、そう思われてしまうような父であることに違いはない。
そんな環境だったので、競馬を好きになる前から私は競馬を知っていたということになる。と言っても、記憶にあるのはオグリキャップが大活躍をしている頃からで、そう考えると私の競馬のはじまりはやはりオグリキャップなのだろう。
芦毛の怪物、オグリキャップ。
昭和のアイドルホースとして大活躍を見せた彼は、今では「ウマ娘」にもなり、若い世代にも愛されている名馬である。
地方競馬の笠松競馬でデビューした後、中央競馬に移籍。
地方の三流血統馬であるオグリキャップが中央のエリートたちを負かしてく様は、当時の多くのファンの心を掴み、愛された。
1989年マイルチャンピオンシップの最後の直線は、何度見ても見飽きることがない。
馬群から先に抜け出したバンブーメモリー、続くオグリキャップ。バンブーメモリーがぐんとひと伸びを見せ、ああ、もう駄目か……と諦めかけてからのオグリキャップに毎回驚かされる。じわじわとにじり寄るようにバンブーメモリーとの距離を縮めると、最後はハナ差で1着になるのだから、勝利を諦めかけていた自分を恥ずかしく思う。どんなに厳しい状況でも、オグリキャップは諦めない。
その強さを知っているからこそ、翌年1990年の不調からの有馬記念での復活劇が鮮明に記憶に残っているのだろう。今までずっと見てきた存在が、特別な存在へと変わる。私にとってはそれが1990年有馬記念だった。あの時、私は競馬ファンとしての産声を上げたのだ。そこに辿り着くまでの土台として、私に競馬を身近に感じられる生活をさせてくれていた父には感謝しかない。父の競馬好きのおかげで、今の私がある。
いつかここに来ること知りし冬泉 恩田侑布子
恩田侑布子第二句集『振り返る馬』から引いた。
はじめて訪れた「冬泉」だが、ここに来ることになると知っていたような気がする。いや、そう確信している。
私もまた、競馬をたまらなく好きになることをどこかで予感していたような気がする。
そういう運命の導きのような、見えない力も信じられるくらい、今、私は競馬に魅了されている。
しかし、ここまで本気で競馬を愛することになるとは、私はともかく父には思いも寄らないことだっただろう。
妹と弟は私ほど競馬に興味を示さないので、私には競馬好きの素質があったということなのかもしれない。
何にせよ、私に出来る数少ない親孝行でもあるので、これからも競馬を追い続けていきたいと思う。
私の魂には競馬への愛が深く刻まれていて、もう消えることはない。
【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。
【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】
【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)
【第11回】馬の名を呼んで(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)
【第12回】或る運命(2003年 府中牝馬ステークス レディパステル&ローズバド)