M列六番冬着の膝を越えて座る
榮猿丸
コンサートホールなどの客席で同じ列に座る観客たちの膝をまたぎ越えて自分の席につくとき、人々の装いに冬らしさが感じられたという句。視線が捉えているのが膝だけというのが的確だ。第一句集『点滅』に収録されている。
客席は薄暗いし、またぎ越すのは一瞬だ。そのような状況で他人をじろじろ見ることもない。だから、膝だけの印象が残る。こういう場面あるなあと嬉しくなるのと同時に、〈冬着の膝を越えて〉という措辞が定型のなかで言葉をやりくりすることで生まれた密度の高い表現であることに気づく。
句の締めくくりは〈座る〉なので、最後は着席した感触が手渡される。無事に会場に着いたことへの安堵を受け取れるかもしれない。〈M列六番〉が前のほうではなさそうなところにも惹かれる(日本武道館なら2階席のまんなかあたりだ)。大勢の中の一人として、割り振られた場所に粛々と座る感じがある。
演目を観にきた作中主体にとって、他人の膝をまたぐのは目的外の行為だ。そのつもりはなかったのに結果そうなった、ということが俳句に保存された。
同句集に収録されている〈屋根の雪キの字に残る日暮かな〉もまた、“そのつもりはなかったのに“の句といえる。屋根は屋根としてよいものになるように作られ、雪はただ積もって融けた。それぞれの営為の結果、融け残った雪がキの字が浮かびあがり、そこに作中主体が立ち会った。
掉尾の一句〈列車来ぬおのが照らせる雪衝きつつ〉もそうだ。列車は走るために前方を照らし、雪があればそれを押しやって進む。照らした雪を押しやりたいわけではない。独立した動きが重なりあうところを作者は俳句に残した。作者の句には独特の臨場感が宿っている。
(友定洸太)
【執筆者プロフィール】
友定洸太(ともさだ・こうた)
1990年生まれ。2011年、長嶋有主催の「なんでしょう句会」で作句開始。2022年、全国俳誌協会第4回新人賞鴇田智哉奨励賞受賞。「傍点」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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