ストーブに貌が崩れていくやうな
岩淵喜代子
12月4日の本欄に、阪西敦子さんが《ストーブに判をもらひに来て待てる 粟津松彩子》という句のことを書いていた。確かにスチーム暖房と違って、ストーブは席によって暖かさが異なり、そこに人生の機微のようなものがあるのだと改めて感じた。
私は北海道で生まれ育ったので、ずっとストーブとともに生活している。ストーブがなかったのは、大学の寮が新しくなった1年間くらいしかない。なのでストーブにはいろいろな記憶がまとわりついていて、ストーブに火を入れると、その匂いとともに往時のことが思い出されることがある。
阪西さんの鑑賞に、「ストーブの近くは暖かい席、どちらかといえば贅沢な席…」という一文があるのだが、それを読んで、そういえば当時はストーブの近くは必ずしも良い席とは言えなかったということを思い出した。
ストーブに貌が崩れていくやうな
小学校から高校1年まで、学校では石炭ストーブが焚かれていた。広い教室にストーブがひとつしかないので、教室全体を温めるためにはがんがん焚かなければならない。廊下には火の気がなく、氷点下になることも珍しくはなかったので、扉の近くはいくら焚いても寒いくらいだった。
反対に、ストーブにいちばん近い席の暑いこと。仕方がないので、ずっと教科書を顔まで持ち上げてやり過ごしたりもした。あまりに環境に差があるということで、1週間おきに席をローテーションしたこともあった。
ストーブに近い席は暑さに顔をゆがめ、遠い席は寒さに顔をしかめる。どちらにしてもふつうの顔ではいられない。これが冬じゅう続くのだから、顔もちょっとは崩れていったのかもしれない(そんなことはあるわけないが)と掲句を読んで思った。
それもこれも、結局は懐かしい景。今どきこんな話を、相好を崩して聞いてくれる奇特な人はいるだろうか。
「硝子の仲間」(2004年)所収。
(鈴木牛後)
【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)、『暖色』(マルコボ.コム、2014年)、『にれかめる』(角川書店、2019年)。