【連載】ハイクノスガタ【第4回】近代化と弘道軒清朝体(木内縉太)

●弘道軒清朝体の前近代性

佐賀一郎は、製造工程の側面から、「完成した母型に後から手を加えることは、調整者の経験とカンに頼らざるを得ない点で、二度と製作できない製品を作る行為にほかならない。厳密に言えば、もはやそれは工業製品とは呼べないのである」(『弘道軒清朝体活字の世界』2016年)と、弘道軒清朝体の非近代性を指摘している。
佐賀は加えて、弘道軒清朝体は近代的な活字製作を犠牲にすることによって、一回的な品質の向上を優先した、というようなことを説いている。

また、例えば、冒頭で触れた、序文で使用される楷書体活字について、矢作勝美は次のように述べている。

はじめは寄せてくれた毛筆の序文をそのまま木版に起こして掲載されていた。これは「書も人なり」ということで、その人の人格をそのまま伝える意味があった。
 その後、木版に近いということで毛筆を基調にした格調の高い活字の清朝体にかえられ、本文の明朝体と区別していた。(『明朝活字の美しさ 日本語をあらわす文字言語の世界』2011年)

ここからは弘道軒清朝体を、前近代的な様式を継承する役割として捉えることができる。

佐藤敬之輔は、弘道軒清朝体について「明朝体という機械化されたデザインにたいする反発であろう」(『日本のタイポグラフィ : 活字・写植の技術と理論』1972年)と語り、弘道軒清朝体を書の側に引き戻す。

これら諸氏の発言からも、弘道軒清朝体が、近代的な明朝体に対するアンチテーゼとして存立していたことがわかる。

江戸の戯作の流れを汲む尾崎紅葉などの著作が、弘道軒清朝体によって組まれたことも至当と思われる。

●さいごに

弘道軒清朝体は、近代性を投射して存立を果たすよりも、非近代性、より正確には前近代性による素志を貫くことで、自らを立たしめていた。
言い換えれば、弘道軒清朝体にとって近代性はそぐわなかった、と言ってしまうことができるのではないか。
そして同時に、弘道軒清朝体が近代化の時代の要請に従って衰退してゆくことも、容易に予見できてしまう。
さはあれ、決して弘道軒清朝体は前近代の糟粕をなめるものではなく、むしろ、その前近代的な精神性を近代化の只中に果敢に投じようとした書体と言っていい。
近代化の過渡期における極めて緊要な書体であったことは、疑いの余地がない。

◉参考文献
原聖、伊勢克也、影山緑、佐賀一郎(2016)『弘道軒清朝体活字の世界』女子美術大学
矢作勝美(2011)『明朝活字の美しさ 日本語をあらわす文字言語の歴史』創元社

木内縉太


【執筆者プロフィール】
木内縉太(きのうち・しんた)
1994年、徳島県鳴門市生まれ。2017年、「澤」俳句会入会。2021年、第八回「」特別作品賞準賞受賞、2022年、第22回「」新人賞受賞。第6回俳人協会新鋭俳句賞準賞澤俳句会同人、「リブラ」同人、俳人協会会員。@kinouchi9


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