【第20回】新しい短歌をさがして/服部崇


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。



【第20回】
菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──


日本台湾交流協会主催「台湾短歌大賞」の短歌作品募集が始まった。応募の締め切りは2月18日(日)である。詳細は同協会のホームページをご覧ください。

今回は菅原百合絵『たましひの薄衣』を再読する。初読時の感想は第11回に書いた。今回は一首一首の技法について見てみたい。

ほぐれつつ咲く水中花──ゆつくりと死をひらきゆく水の見ゆ 

 二句切れの一首であるが、ここでは──が用いられている。この「──」によって読者はそれこそ一首をよりゆっくりと読み進めることになる。また、この一首では、「死」を「ひらきゆく」という語法も注目される。

雨 と言ひ外を見てゐる時の間を同じ方向く二人となりぬ  

 初句の冒頭において「雨」の一字が提示される。そのあとは一字空けとなっている。一字空けによって読者は雨を想う時間を過ごすこととなる。一首に登場する二人と同じ方向を向くようになる。

〈先生〉と胸に呼ぶ時ただひとり思ふ人ゐて長く会はざる 

 一首の冒頭に〈  〉に囲われた「先生」の一語が提示されている。「  」は実際の発語を示すのに対し、〈  〉は心の中で思った言葉を指し示すということだろうか。この一首からは「  」の使い方はわからない。

「輪郭のないものばかりうつくしい」 水辺に春のひかりながれて  

 上句に「  」に入れられた「輪郭のないものばかりうつくしい」という一文が置かれている。「  」は実際の発語を示すということとは限らないようである。「  」に入れられた上句の一文に読者はひきつけられる。

「サムエル記上」読みゆけば罅割れし磁器の脆さに狂ひゆくサウル  

 初句には「  」に入れられた「サムエル記上」が置かれた。この場合も「  」に入れられたのは発語ではない。「サムエル記」は旧約聖書の一つ。上下にわかれている。サウルはイスラエル王国の初代の王。

言葉では教へぬ人といふことも(知つてゐるけど)日傘をたたむ 

 第四句「知つてゐるけど」が(  )に入れられている。第四句は挿入句らしくも思えるのだが、不思議な用法である。(  )を外した方がさらっと読める。逆に(  )があることで上句と結句の間で文意にねじれが生じているように思えるのである。

哲学史には書かれねどデカルトの、パスカルの、ニーチェの病身 

 読点「、」が二回ていねいに使われている。これによって、デカルト、パスカル、ニーチェの三人の哲学者が病身であった(ことがある)ことが気になっていることがわかる。病身であった哲学者はこの三人とは限らないが、この一首ではこの三人が選ばれた。

ノアのごと降りこめられてゐるゆふべcorps(からだ)corps(かばね)と訳し直しぬ 

 ルビの振り方その一。この一首ではフランス語の単語「corps」にその日本語訳のルビを振っている。一回目は「からだ」、二回目は「かばね」と振るルビを変えている。「corps」を「からだ」と訳すか「かばね」と訳すかで雰囲気が大きく違ってくる。

いとせめて恋ほしき夜なり地に雨が月にMare() Tranquillitatis(かの海)が冷えゆき 

 ルビの振り方その二。この一首ではラテン語の単語「Mare Tranquillitatis」にその日本語訳のルビを振っている。「Mare Tranquillitatis」は「静かの海」。月面のいわゆるウサギの顔の部分を指して言う。

Le() corps() est le() tombe()au de() l’âme()  舟発ちてしまらくを揺れやまぬ漣 

 ルビの振り方その三。この一首ではフランス語の一文に日本語訳をルビとして振っている。「Le corps est le tombeau de l’âme」は「肉体は魂の墓」と訳されている。結句「漣」の体言止めと呼応するようにフランス語と日本語訳が用いられている。

 以上、菅原百合絵『たましひの薄衣』からあらためて十首を選び、それぞれにおいて用いられている技法について見てみた。


【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021) 
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。

Twitter:@TakashiHattori0

挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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