【アンケート】東日本大震災から10年目を迎えて
(東日本大震災 から11年目に)
2011年3月11日の震災から11年が経過しました。
セクト・ポクリットでは昨年、「東日本大震災 10年を迎えて」という特集を組み、さまざまなご寄稿をいただきましたが、そのときに集計したアンケートを公開しないまま、1年が経ってしまいました。管理人の怠惰です。申し訳ありません。
以下が、そのアンケート結果です。ただし、1年を経ての公開を望まない方もいらっしゃるかもしれませんので、そのときは管理人までご連絡ください。
ウクライナ危機では、チェルノブイリ原発の電源喪失も起こっているという心配なニュースも飛び込んできています(追記ー配信直前に電源が復旧したという報道がありました)。脱炭素・脱化石燃料へと舵をきる国が多くなるなかで、世界の「原発」をどのように考えるべきかは、いまなお現在形の問題として、わたしたちの目の前にあることを思いつつ。
<有効回答数=33名>
【質問1】東日本大震災およびそれに伴う原発事故にあなたの俳句は影響を受けましたか?
【質問2】「福島忌」「原発忌」という言葉を季語として使うことに抵抗はありますか?
【質問3】震災後10年間のあいだに最も記憶に残って句があれば、教えてください。
【質問1】東日本大震災およびそれに伴う原発事故にあなたの俳句は影響を受けましたか?
【「とても(まあまあ)受けた」方のコメント】
・実家が福島で被害があったので、他人事とは思えず、逆に震災に関係する俳句を詠むことには慎重になった。(潮田幸司さん/「銀化」)
・表面的な作風としてはほとんど影響は受けないが、作句態度として故郷に対する強いこだわりが生まれた。(浅川芳直さん/「駒草」「むじな」)
・いま自身の立つ場所、自身の日常を詠むことを、より意識するようになりました。また、山河や草花といった自然の生命を宿す季語の力、言霊というようなものを、より強く感じるようになった気もします。(野崎海芋さん/「澤」)
・俳句が作れなくなった。(中村かりんさん/「稲」)
・「三月」「春の雪」「春灯」「ぼたん雪」「黄水仙」などを筆頭に、春の季語全般はこれまでの情趣のみで詠めなくなりました。震災直後のみならず現時点でもその状態は続いています。(成田一子さん/「滝」)
・当時震災対策に係わる仕事をしていたので、時間的にも精神的にも暫くは俳句を作るという気分になれなかった。(種谷良二さん/「櫟」)
・東京電力株式会社の不誠実極まりない津波対策に端を発していること。即ち同社の政策決定大会議で津波対策の15m防波堤を設置寸前であった事を当時の社長、副社長の鶴の一声で却下してしまったことである。理由は「無駄な金をかけるべきでは無い。原発は絶対安全なシステム由に」。ハインリッヒの事故の法則すら認識してしなかった大不幸である。このため史上最悪の放射能汚染にさらされ無毒化には300年はかかるという事だ。小生は当該汚染地区40キロに住んでいて飲み水のポンプアップのボランティア活動をしていて放射能汚染被害者になりました。そのため胃がんを2回、前立腺がん1回と手術を受けたことです。従いまして東日本大震災=原発汚染の俳句作成者になっていますが被害者と被害者ではない人の温度差に悩みました。(経盛さん)
・突然の災禍にあって、身一つになって何もかも失って、どうやって立ち直れるのだろう、と胸を痛めました。(匿名希望/「百鳥」)
・とても受けたといっても、その表現はしっくりこないと感じます。そこだけ切り取られているわけでなく、寄稿に書かせていただいたとおり、もうそれは自身の中にあり続けるものということかと思います。(小田島渚さん/「銀漢」「小熊座」)
【「少し受けた」方のコメント】
・この日を忘れてはならないと感じているから。仕事の関係で、震災後、Jヴィレッジ、福島第一、福島第二発電所にも行くことがあり、復興への思いがある。(正則さん/「青垣」)
・震災後、被災地に出かけて目にした情景を句にしたことがある。(谷岡健彦さん/「銀漢」)
・東電による原発の重大事象はアメリカによる広島や長崎の原爆よりもっと大きな核被害を極めて長期に、広範囲に生じさせるものであり、我々日本に住む者は多かれ少なかれその影響を受け続けざるを得ない。核との折り合いを何処でつけていくかは個々人にとっても極めて重大な課題である。(古曵伯雲さん/「鳰の子」)
・地震の句を生半可な気持ちで作れない。単なる取り合わせなど実体験でない地震句、いい加減な地震句は慎まなければと思う。(匿名希望/「いつき組」)
・2011年の3月、4月と、俳句を作ることに罪悪感を感じた。(山崎祐子さん/「りいの」「絵空」)
・人と人の絆を意識した。(柴田多鶴子さん/「鳰の子」)
・食器類と置物が割れ、家具が一部破損。ベランダにびびが入りました。2ヶ月程、計画停電しました。(綸子さん/「櫟」)
・自然の詠む俳句より、人間を詠む俳句が多くなった。(赤間学さん/「楡」「滝」「青磁会」)
・2011年には俳句を始めたばかりだったので詠むまでには至りませんでした。10年後の今年は3.11の句を何句か作りました。自分自身が76年前の原爆を体験しているため思い入れがあるからでしょうか。(古家美智子さん/「天穹」)
・通常では考えられないような自然現象が現実に起きることに恐怖を覚えたが、自然へのさらなる畏敬の念とともに、防災の必要性かつ人災の発生防止がいかに大事かを強く感じた。(鈴木三山さん/「滝」「ロマネコンティ」)
・自然の脅威を再認識した。(鎌形清司さん/「滝」)
【質問2】「福島忌」「原発忌」という言葉を季語として使うことに抵抗はありますか?
【「とても(まあまあ)ある」方のコメント】
・福島や原発と限っているのだから、津波にまつわる死でないのだろう。メンタル面その他の関連死はあっても、福島原発事故の直接的な死者はいない。原発がもたらした問題を詠むことは大いになされるべきだとは思うが、こういった季語に収斂させるのは雑な気がして嫌だ。(根岸哲也さん/「澤」)
・亡くなった人への祈りというより、多くの場合社会的な動機から用いられているように見えるから。(浅川芳直さん/「駒草」「むじな」)
・季語として定着するには生々しすぎるから。(甲村健一さん/「蒼海」)
・原発事故を俳人や文人の死と同じように扱うことに違和感があります。福島は死んだ、と言われて良い気持ちのしない方も多いと思うので。(鈴木牛後/「藍生」「雪華」)
・季語が伝える力を思うといつか後世では季語になる可能性はあるがそれは今ではないと思う。その言葉を使わなくても表現は可能ではないか?(匿名希望)
・忌日の季語じたいが、安易に使えるものではないと思っています。そして震災の記憶が生々しい間は「〜忌」という季語に定着することはないだろうと思ってきましたが、10年経ったいまもまだ、やはり抵抗を感じてしまいます。(野崎海芋さん/「澤」)
・まだまだ復興途上。「忌」にして過去のものにしてはいけないと思う。(種谷良二/「櫟」)
・「福島忌」(「東北忌」も)―福島自体が亡くなったわけではないので抵抗があります。同様の観点から広島忌、長崎忌も使わない立場です。自身の住んでいる場所を「○○忌」という季語で詠まれたら悲しいです。「原発忌」も個人的には使いませんが「福島忌」ほどの違和感はありません。(成田一子さん/「滝」)
・3月11日のその日のみに忌日として亡くなった方を悼むという意味があるわけではないから。(山崎祐子さん/「りいの」「絵空」)
・「忌」は人を悼む時にしか使わないという文法的な意味合いもありますが、それ以上に「忌」としてしまうことで、「過去」「終わったこと」になってしまうことへの抵抗も感じます。いまだに余震が続き、廃炉への道筋も不透明な現状で「忌」という概念に一括りにして詠むのはどうなのか…現在進行形の問題として捉え、もし自身が詠むとしたら「忌」を使わずに詠みたいと考えます。(匿名希望)
・当事者でなく、現地の惨状も実際に見ていない。そんな自分が季語として扱える力は持っていない。別の季語を使っても、震災禍に寄り添う俳句を詠むのは可能だと思う。(匿名希望/「百鳥」)
【「少しある」方のコメント】
・誰かが秀句を発表してくれれば事情が変るだろうが、現時点では、季語らしいイメージ喚起力がない。(谷岡健彦さん/「銀漢」)
・忌日の意味について言及する方の意見も効き、もっともだと感じたりするので。福島が死んだわけでは無い。等。(正則さん/「青垣」)
・まだ問題が続いているのに「忌」と言うと、もう終わってしまったことという感じがするので。(潮田幸司さん/「銀化」)
・一句全体で原発事故やふくしまをかんがえたほうがよい。(柴田多鶴子さん/「鳰の子」)
・詠まれる側に立つと逆差別されることになりはしないかという危惧があります。広島・長崎に関しては、人類初の被爆国として世界史に残る事実ですが、被爆者としては季語として詠まれる軽い句に違和感を覚えることが多々あります。(古家美智子さん/「天穹」)
・「原発忌」に関してはこれからの時代に残すものとしてあったら良いと思う。(原爆忌の様に)ただ、「福島忌」に関しては福島への帰還を強く願っている人々がいる中「忌」とするには少し早く感じる。また福島の風評被害などを考えると廃炉が完了しない今、原発とを抱き合わせてしまうのは慎重にならないといけないと思う。(藤井南帆さん/「秋麗」「磁石」)
・福島は存在し続けるものであり、原発は無くなってない存在なので、そのまま忌日とすることには抵抗がある。ただし「震災忌」などは震災が起き亡くなった大勢の鎮魂の記録となるので構わないと思われる。(鈴木三山さん/「滝」「ロマネコンティ」)
・原子力発電の評価がさまざまであるから。(鎌形清司さん/「滝」)
・報道では見えないところで、復興もままならず原発問題も何ら廃炉への方向性も見えていないため、生々しさが否めない。震災後に俳句を始めたので、僭越な気持ちがある。(かま猫さん/「いつき組」)
・福島や原発という言葉を安易につかってはいけないのではと思う。現場にいた方なら許されると思うけれど、そうでなければ単にインパクト効果を狙うだけの句になってしまうのでは。(匿名希望/「いつき組」)
【質問3】震災後10年間のあいだに最も記憶に残っている句があれば、教えてください。(複数回答可)
【9票】車にも仰臥という死春の月 高野ムツオ
【7票】双子なら同じ死顔桃の花 照井翠
【3票】津波のあとに老女生きてあり死なぬ 金子兜太
【2票】つなぐ手を波が断ち切る春の海 菊田島椿
【2票】みちのくの今年の桜すべて供花 高野ムツオ
【1票】桜とは声あげる花津波以後 高野ムツオ
【1票】泥かぶるたびに角組み光る蘆 高野ムツオ
【1票】陽炎より手が出て握り飯摑む 高野ムツオ
【1票】瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高野ムツオ
【1票】町ひとつ津波に失せて白日傘 柏原眠雨
【1票】避難所に回る爪切夕雲雀 柏原眠雨
【1票】大海にセシウム洩るる大暑かな 赤間学
【1票】福島の火蛾にならねばならぬかな 赤間学
【1票】大津波おもふ静かな波のなか 安倍真理子
【1票】陥没の底にも咲けりいぬふぐり 今瀬剛一
【1票】春眠の覚めぎはに見し峰の数 井上康明
【1票】校庭に船残りたる彼岸かな 蓬田紀枝子
【1票】帰らざるあまたあまたや鳰の巣も 宇多喜代子
【1票】マスクして墓標のごとく並びゐる 大場鬼奴多
【1票】はまなすの鈴生りの実や津波跡 織内光胤
【1票】地震過ぎし一湾の輝り蝶生る 鍵和田秞子
【1票】天使魚と目が合う夜の地震かな 五島高資
【1票】夕ざくら湯気立つものを食うて泣く 田中亜美
【1票】三・一一神はゐないかとても小さい 照井翠
【1票】みちのくの山河慟哭初桜 長谷川櫂
【1票】真炎天原子炉に火も苦しむか 正木ゆう子
【1票】ビー玉に大夕焼や大川小 八島 敏
【その他(自由記述欄)】
・当事者が生々しく詠めばリアリティがあるのか、と疑問はある。
双子なら同じ死顔桃の花/照井翠
賛否ある句だが、私は生々しすぎてリアリティを感じない。「同じ顔」と言えるほどまじまじ覗き込めるものだろうか。ぼんやりとながら、ショッキングさと、俳句としての強度とにギャップがあるのではないか、と考えている。(浅川芳直さん)
・高野ムツオさんの「車にも横臥という死春の月」という句を見た時に、上手く言えないが句による供養というものを感じた。それまでショック状態で作句出来なかったがこの句を拝見した事によって前に進むことができた。私にとって春の月は救いの季語である。(中村かりんさん)
・句会中の訃報にすぐさま詠む方がいるがざらっとした気持ちが残る。同じ事が震災にもいえるのでは? 実際苦しみ苦労した方の実感ある句は除くが。(匿名希望)
・今回改めて当時の句帳を見直したが、忙しさに感けて俳人として震災にきちんと向き合っていなかったことを再認識した。むしろ忙しさを口実に避けていたのかもしれない。しかし、今思うと、本物の「綿虫」を始めて目にしたのは崩壊した原発サイトであった。「これがあの綿虫なんだ!」と心が動いたのであるから、句を作る機会はあった筈なのだ。十年目にして改めて当時を思い出し、震災に向き合ってみたい。(種谷良二さん)
・震災句は他人の句は感動がない。つまり震災句は自分だけの俳句であるから それは震災句は俳句でないのかもしれない。(赤間学さん)
・3.11を詠むことが、後世に語り継ぐことになるとはおもいます。が、季語として定着することで、かえってその事実を軽くしてしまうことにならないかという懸念は残ります。(古家美智子さん)
・災害から10年がたちました。10年を一区切りとする雰囲気がありましたが、それを覆したのが余震とされる3月20日の地震でした。人間は十進法を様々なものに使いますが、自然に対してそれは全く意味のないものなのだと強く感じた瞬間でした。地球の歴史の中で人類の時間はまだほんの僅かです。知恵や知識といえどその時間の中で生まれたものです。決して何かを理解したと思ったり、自分たちの物差しで計ったりするのは随分と奢った行為なのかもしれないと感じた日でした。(藤井南帆さん)
・現実を詠む、という事では避けて通れない道だと思う。アンケートに答えるにあたり積極的に震災詠を扱った句集など読まなくてはいけないと考えさせられた。(かま猫さん)
・東日本大震災から10年が経ち、災害への人々の記録として俳句が一定の役割を果たしたと思うことが出来ます。高野ムツオ、照井翠、柏原眠雨氏ら被災した地元の俳人たちの力によるものでしょう。ただ、被災した多くの人たちにとってはやはり、俳句は別の世界のことであったろうと思うのです。彼らに必要だったのは、人的、物質的支援、金銭の支援、そして、心のケアです。俳句をやっていて良かった人はあったと思いますが、被災して新しく始めた人の話は聞きません。俳句がどれだけ困った人に寄り添えるのか、いや、困った人に寄り添えるものなのかを考えます。未曽有の大災害に対して俳句は、無力ではないけれど、それほどではないということを、謙虚に心に留めておくことが必要かと思うのです。(吉田千嘉子さん/「たかんな」)
・2021年3月に刊行された宮城県俳句協会主催の『十年目の今、東日本大震災句集 わたしの一句』の編集に携わりました。携わることに躊躇がなかったわけではないですが、自分が何を感じているかを知りかったこともありました。刊行した今、ここ数日ででてきた感覚にすぎないですが、十年の歳月は重い、という気がしています。(小田島渚さん)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】