飲めるだけのめたるころの銀漢亭
谷岡健彦(「銀漢」同人)
銀漢亭が店仕舞いすると聞いて、ふと頭をよぎったのは久保田万太郎の「飲めるだけのめたるころのおでんかな」という句だった。
べつに、わたしはおでんが好物というわけではない。おでんを銀漢亭で食べた記憶はほとんどないし、そもそも、メニューになかったように思う。
万太郎の句を思い出したのは、上五中七の「飲めるだけのめたるころの」という措辞ゆえである。たいして酒は強い方ではないが、銀漢亭ではよく飲んだ。
六時半までに銀漢亭に入れば一杯目は二百円引きだから、夏はまだ日が落ちきらないうちから飲み始める。小一時間ほどで、さくっと切り上げればよいのだが、なじみの顔が次々とやって来て、帰るタイミングを逸してしまう。
そのうち、別の店で一杯ひっかけてきた知り合いの飲み直しにつき合うこととなり、気づくと閉店の時間だ。
こうなるともう家に帰っても仕事にならないとあきらめ、店の片付けを終えた伊藤伊那男主宰といっしょに近所の餃子屋でさらに杯を重ねる……。
こんなふうによく夕方から終電まで飲み続けていた。
ただ飲んでいたばかりではない。銀漢亭での句会にもよく足を運んだ。
なかでも毎月第四月曜日に開催される湯島句会は楽しかった。ときには百名を超すほど出句者が多かったこと、初心者から有名俳人まで参加者のバラエティが豊かだったことなど、いろいろ特徴の多い句会だが、わたしにはなによりも祭のような華やいだ雰囲気が魅力だった。
超結社の句会ということもあって、自分の結社で求められるのとはちがった詠み方の「遊び」の句を出されていた参加者も多かったのではないか。有名句の盗作すれすれのパロディ、仲間うちだけで通じる楽屋落ちなど清記に目を通していて爆笑することもたびたびだった。いきおい外連味の強い目立つ句に点が多く入りがちだったように思う。
俳句の知識が乏しかった当時のわたしは気づかなかったが、こうした湯島句会の洒落っ気は、芭蕉没後の江戸座の句風にどこか通じていたのではないか。宝井其角の「鶯の身をさかさまに初音かな」など、作者名を伏せて示されれば、湯島句会の高得点句と思ってしまいそうだ。
さて、このように「飲めるだけのめたるころ」は、新型コロナウイルスの蔓延とともに終わってしまった。自宅に籠っていると酒を飲む気にならないのである。わたしは酒そのものではなく酒場が好きだったのだろう。いまは週に一回、ビールの中瓶を一本飲むだけで、じゅうぶん満足している。
だが、句友とおたがい酩酊した頭で、助詞一字をめぐって口角泡を飛ばすことができないのがさびしい。
【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。