神保町に銀漢亭があったころ【第47回】吉田千嘉子

花は種に

吉田千嘉子(「たかんな」主宰)

念願の「銀漢亭」に足を踏み入れたのは3年ほど前。俳人協会総会のために上京した時に、「春耕」の紳士たちが連れて行ってくれたのだった。丁度いらしていた茨木和生先生と、恐れ多くも猪口で酌み交わしながら、伊那男先生に味噌汁の出しの取り方を教えて貰った。一度は行ってみたい、と心に決めてから何年が経っていただろう。

平成26年に俳人協会の白神セミナーが行われ、その時に隣に座ったのが谷岡健彦さん。俳句のきっかけを訊くと「いつも飲み食いをしている銀漢亭で、俳句をやらないならもう来るなと言われて…」とあの真顔で言われた。その縁で交流誌となった「銀漢」。その「銀漢亭日録」の、結社を超えた俳人たちの和やかそうな交遊に目を離せなかった。

その後、俳人協会賞予選委員でご一緒した杉阪大和さんと、その弟分の堀切克洋さんの北斗賞の受賞式でお会いする。さらに俳人協会賞、新人賞という師弟同時受賞のお祝い会にも加えていただき、そのあたりから「銀漢」と私の距離はなし崩し的に近くなっていくのである。講演にいらした伊那男先生やお仲間と夏の青森とえんぶりをご一緒し、逸話は尽きない。

上京中、欠席の広渡さんの代わりに「火の会」に参加。青森県在住で、東京の超結社句会に参加できるのは僥倖である。老いた母に会うための上京をこの句会に合わせよう、として踏み出した時のコロナだった。私の中ではすでに、東京の心の滞在先と言ってよい銀漢亭なだけにショックだった。

でも、と思う。伊那男先生は銀漢亭を定年して良いと。主宰だけでも大変なのに、居酒屋の亭主との二足の草鞋は命を縮める。伊那男先生には長生きをして貰って、堀切氏のような次の世代を育てて欲しい。銀漢亭の咲かせた花は強固で、また次へと種蒔きをすることだろう。

【執筆者プロフィール】
吉田千嘉子(よしだ・ちかこ)
1952年北海道生まれ。「たかんな」主宰、俳人協会幹事、日本文藝家協会会員、日本現代詩歌文学館評議員。句集『朳囃子』(角川書店)『一滴の』(東奥日報叢書)、他に『藤木俱子の百句繚乱』(八戸印刷) 青森県八戸市在住。


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