私と銀漢亭
松川洋酔(「銀漢」「春耕」同人)
「銀漢亭が店を閉める」という情報は突然だった。新型コロナウイルスの蔓延であちこちの店が廃業に至ったというニュースは耳に入ってきてはいても、まさか銀漢亭が!の驚きは強烈だった。ただし店主の伊那男氏はもともと考えていたとのことを後で聞いて妙に納得したりした。
さて俳句の関連で言うと、私と伊那男氏は共に同じ師のもとで学んだ仲である。銀漢亭開業の初期に湯島でスタートした句会が神保町の銀漢亭で開かれることになり、以来大勢の同好者が集まり、それこそ店をはみ出して俳句を愉しんだ。
人手が足りなければ、参集した女性陣が俄かホステスに転じ毎回大盛況であった。やがて氏が新結社「銀漢」をスタートさせるとそこにかなりの数の会員がメンバーとなり現在に至るという背景があった。
こういった有名店は鈴木真砂女の小料理「卯波」や高島茂の新宿焼き鳥「ぼるが」などがあるが、「銀漢亭」には各結社の主宰級や雑誌の編集者などが訪れるようになり、一躍前出の店に並ぶほどになった。
私の開いていた私塾の塾生の殆どが「銀漢」に名を連ねてその後、中には大化けした者を輩出するようになり楽しみが広がったものである。その塾生たちが開いてくれた毎年の誕生会を貸切って騒いだ時が懐かしい。
「銀漢亭」はその幕を閉じたが、俳句界の寵児となった伊那男主宰も70歳を超えて新しいスタートを切ることになった訳だ。神保町での歴史は忘れようがない。
ドアを押せばカランと鳴ったカウベル。先客は振り返ってやあと手を挙げていた。ウナギの寝床のごとき長いカウンターと奥の厨房まで続く立ち飲みの席。天井にはわけのわからない棒状が吊るされ、ある時は氏の誕生日である七夕にちなんだ短冊がひらひらと空を舞っていた。またある時は著名な主宰たちが奥のほうで句会を巻いていたりと、俳句に関わるほとんどの人たちの出入りが多かったのが脳裏に蘇る。催し事があるたびに最後には外へはみ出して撮った集合写真。
思い出は私一人で独占できぬほど胸に溢れかえっている。
【執筆者プロフィール】
松川洋酔(まつかわ・ようすい)
昭和18年6月1日東京生まれ。平成14年「春耕」同人、平成22年「銀漢」創立同人。俳人協会会員。令和元年「春耕」評議員。句集に『家路』(文學の森、2010年)、『水ゑくぼ』(文學の森、2014年)。