俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第71回】 志摩と友岡子郷

友岡子郷は、昭和九(一九三四)年、神戸市灘区に生まれ。同十九年、父の郷里岡山県井原市に縁故疎開後、戦後帰神し、甲南大学で長谷川素逝句集を読み、俳句を始め、「ホトトギス」「青」(波多野爽波主宰)に投句。阿波野青畝指導の「神戸新人会」の仲間と「椰子会」(のち代表)を結成、同三十二(一九五七)年、山中湖畔での「稽古会」で高浜虚子に初めて接した。松蔭女子学院に勤務し、現代詩も耽読、「青」編集にも携わり、同三十八年、二十九歳で第六回四誌連合会賞を受賞するものの、同四十三(一九六八)年、俳句の出直しを決意し、「青」を辞して飯田龍太選の「雲母」に投句を始め、同人誌「椰子」も創刊する(のち代表、一九九八年終刊)。翌年第一句集『遠方』を刊行。

海女小屋体験施設さとうみ庵(志摩市観光協会)

飯田龍太から「俳句は俳句らしく純正に自立していること。理に陥らず、無垢な自然が伝えてくれるものの中で、真の自己を見いだすこと。世に阿らず、一人密かに句をつくること」との、かけがえのない箴言を貰い、同五十二(一九七七)年、晴れて、第一回雲母選賞受賞。翌年には第二十五回現代俳句協会賞受賞した。その後精力的に句集『日の径』『未草』『春隣』の刊行や執筆を行う。平成三(一九九一年、五十七歳で教員を中途退職し、翌年「雲母」終刊により「柚」(大井雅人主宰)や「白露」(広瀬直人主宰)の同人、俳壇賞選考委員となる。

濱豌豆の花(市川万葉植物園)

平成七(一九九五)年、阪神淡路大震災に遭遇、自宅半壊、書籍・資料も散失するものの一家は無事だった。翌年、震災の生々しい句も含む第六句集『翌』を刊行。その後の活躍は目覚ましく、同十八(二〇〇六)年、『雲の賦』で、第6回俳句四季大賞、同二十一年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、第六回「みなづき賞」。同二十五年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞、同三十年、『海の音』で第五十二回蛇笏賞を受賞した。令和四(二〇二二)年逝去。享年八十七歳。川崎雅子、中岡毅雄、中杉隆世等を育てた。

句集は他に『風日』『葉風夕風』『貝風鈴』。評論、エッセイには『俳句 物のみえる風景』『飯田龍太鑑賞ノート』『天真のことば』『俳句とお話』等がある。

志摩スペイン村 マヨール広場

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