秋の日が終る抽斗をしめるやうに 有馬朗人【季語=秋の日(秋)】

秋の日が終る抽斗をしめるやうに

有馬朗人

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 少し前の話になるが、二〇二四年の五月、『有馬朗人全句集』が刊行された。私も、索引のお手伝いをさせていただけることになり、第四句集『耳順』(1993)を担当した。『耳順』には、大変魅力的な海外詠が多く、クレータ・ギリシアでの〈神父達爽やかに肉買ひにけり〉やイスラエルでの〈泉湧く初めに言葉ありにけり〉、ジュネーブでの〈鳥渡るフランス領に入りけり〉などが特にいつまでも心に残った。これらの作品を読むと、私までまるで異文化を体験したかのような気持ちにさせてもらえ、心が晴れやかになる。日本の片隅にいながら、外国のスケールの大きさを感じられる。私が元々、有馬先生の俳句に抱いているイメージ通りだといえる。

 そのためか、『有馬朗人全句集』が刊行され、第十句集まで拝読する機会を得ると、初期の頃の作品のモダニズム詩のような詠み方に特に大変魅了された。もちろん、〈水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も〉などの有名な句は知っていたものの、通読すると、その多くがまるで西洋の一行詩のようだった。昔、授業でモダニズムの英米の詩人たちが俳句に魅了され、エズラ・パウンドの「地下鉄の駅で」のような作品を生み出したと教わったが、そのことが頭に浮かんだ。

 前置きが長くなったが、掲出句〈秋の日が終る抽斗をしめるやうに〉も、そのような第一句集『母国』(1972)に収められている。句集の中では、穏やかな雰囲気の一句だが、何度読んでも比喩が鮮やかだと思う。随分前に文庫本の『有馬朗人』を読んだときも付箋を貼り、全句集でもまた付箋を貼った。それくらい、私の心の琴線に触れる句だ。

 そこには、倒置法と句またがりによって、抽斗が閉まると同時に秋の日が幕を下ろしたようなはっとするドラマ性が感じられる。しかし、抽斗の木のぬくもりのためか、断定していても強くなりすぎない。つぶやきのようでいて、詩としてきちんと独立している。そして、何より、「秋の日」が動かない。俳句を詠んでいる時、どの季節でも合ってしまいそうだなと思うことが私にはあるが、そのような甘えや隙がこの句からはうかがえない。

 残念ながら、私は有馬先生の最晩年しか知ることが叶わなかった。いつでも私のような目下の者にも気をかけてくださる方だった。秋の夜長にもう一度、その足跡を追ってみたいと思う。

〈参考文献〉
有馬朗人、『有馬朗人全句集』角川書店、二〇二四年。

(遠藤容代)


【執筆者プロフィール】
遠藤 容代 (えんどう ひろよ)
1986年生まれ。「聲」・「天為」所属。句集に『明日の鞄』(ふらんす堂、2025年)


◆第一句集
冬泉野生の馬も来るといふ

自由でのびやかな把握とやわらかな言葉使いが挙げられよう。(序より・日原 傳)

◆自選十句
何を見る必要ありや鯨の目
二階には店員の来ぬ日永なり
減つてゆく蝌蚪に別れのとき近し
春惜しむすぐに大きくなる熊と
ほうたるの百葉箱のまはりにも
山に来て山の話や星月夜
大柄なひとのさしたる秋日傘
復元の書斎から雪よく見ゆる
耳飾り揺らして上がり絵双六
冬の浜拾へば大切な貝に



【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
〔9月23日〕真夜中は幼稚園へとつづく紐 橋爪志保

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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