高浜虚子が〈白芙蓉の白きより白きは無し〉と詠んだように、白芙蓉の眩しさには触れがたいものがある。陽にも風にも透ける儚げな風情は、近くて遠い女性を思わせる。大切な一日を自分だけのために使ってくれた、ただそれだけで嬉しい。本当の恋人同士にはなれない女性なのだろう。何かしらの事情があり一日だけ恋人になってくれたのだ。
とある男性の大学時代の話である。ゼミの先輩であった一歳年上の想い人は、自分を弟のようにしか扱ってくれず、いつも「子供みたいね」と言いながら何かと世話を焼いてくれた。服の染みを拭いてくれたり、風邪薬をくれたりと些細なことではあったが、こんな女性と結婚できたらいいなと思っていた。彼女が「卒業したら実家の家業を継ぐの。だから残りの大学生活は、できるだけ大学生っぽいことをしたいな」と言いだしたのは、ゼミの仲間数人と学食でカレーを食べていた時である。窓の外には赤とんぼが行き交っていた。「例えばどんなことですか?」「遊園地に行って、ハンバーガーを食べたいかな」。それのどこが大学生っぽいのか分からなかったが、家業の手伝いと勉学に明け暮れていた彼女にとっては、学生のうちにやってみたいことの一つだったのだろう。「遊園地、いいね。どこの遊園地にしようか」と語り合っているうちにチャイムが鳴り、話は有耶無耶になった。数日後、「今度の日曜日に遊園地へ行きませんか」と電話をかけた。「ゼミのみんなの予定は大丈夫なの?」「ええ。その日は空いているみたいです」。二人だけでとは言いだせず、咄嗟に嘘をついた。
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