猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 金原まさ子【季語=いちじく(秋)】

 

 第三句集『遊戯の家』では、さらに大胆かつ自由な境地に至る。今井聖主宰の「街」と鳴戸奈菜代表の「らん」で受けた刺激により、抑圧されていたものが放出されたかのようである。深いことを考えてはいけない。楽しいと思えばそれで良いのだ。

 100歳近くになれば、神様も子供のようなものである。もう何も恐れるものが無いような詠みぶりだ。

  囀りのごときにふけり神々は

  したしたしたした白菊へ神の尿

  合歓の家毛深い神が出入す

  夕顔はヨハネに抱かれたいのだな

 残酷な内容も子供のように無邪気であるから手に負えない。悲しみを超越しているのかもしれない。

  青蜥蜴なぶるに幼児語をつかう

  目の青い天道虫は殺すべき

  衣被モグラを剥くように剥きぬ

  くちびるを噛みきるあそびプチトマト

  食いおわりたる蟷螂の号泣よ

  赤いところで氷いちごは悲しんで

 それでも老いは意識しているらしい。どこまでも明るい老いである。

  鈍行でゆく天国や囀れる

  老人の血は酸っぱいと鳴く春蚊

 エロスを感じさせる句も通常のエロスとは異なる。原始的、動物的でありながら、時には雌雄未分化である。単純なようで単純ではない。

  春暁の母たち乳をふるまうよ

  殻ぎりぎりに肉充満す兜虫

  くらりくらりと童貞女だか(えい)だか

  両性具有とは蓴菜とじゅんさいの水と

  雪虫の恋()ていたるぶたれたる

 「99歳の不良少女」というキャッチコピーがぴったりの句集である。近所の不良少女と会話をした後のようなわくわくとした感触を残す。

  蓑虫を無職と思う黙礼す

  隣人を窺いながら盗るザクロ

  サンシキスミレは悪い花だなはいコーク

  バフンウニのまわり言霊がひしめくよ

  釘箱にサングラス入れたのは誰

 第四句集『カルナヴァル』は、さらに話題の句集となった。「金原まさ子百歳からのブログ」での発表句を含み、人を驚かすような内容でありつつも詩的である。

 死を思わせる句と同時に生まれ変わりの句も詠んでいる。作者のなかでは、死と再生が繰り返されていたのであろう。

  深夜椿の声して二時間死に放題

  時間切れです声を殺してとりかぶと

  二時間は温いよ春の鹿撃たれ

  菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ

  炎昼のかちっと嵌り死と鍵と

  百万回死にたし生きたし石榴食う

  三度目の生れ変わりのベラですよ

 不思議な感性はさらに不思議さを増し、独自の世界を妖しく美しく構築していった。

  ああ暗い煮詰まっているぎゅうとねぎ

  吸いたし目玉・水玉・すだま夜の秋

  わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

  山羊の匂いの白い毛布のような性

  月夜茸へ体温の雨がどしゃぶり

  琴墜ちてくる秋天をくらりくらり

 男性同士の耽美的世界への憧れから端を発したエロスは、象徴的かつ詩的に描かれる。

  ヒトはケモノと菫は菫同士契れ

  はだかになり神に瞶られて気がつかぬ

  衆道や酸味の淡くて酢海鼠の

  出窓から藤があらわれ半裸なる

  鞭打たれ打たれてイエズスのような藤

  責めてどうするおおむらさきの童貞を

  炎天をおいらんあるきのおとこたち

 102歳になっても無邪気な不良少女のまま。いつまでも自由に自在に詩の世界を翔びまわっていそうに思えた。

  別々の夢見て貝柱と貝は

  ひな寿司の具に初蝶がまぜてある

  虎が一匹虎が二匹虎が三匹藤眠る

  おこるから壜の蝮がいなくなる

  冬バラ咥えホウキに乗って翔びまわれ

 句集出版後もブログにて新しい俳句を発信し続け、その好奇心が尽きることはなかった。上田信治氏が「週刊俳句」にて、『カルナヴァル』以降の句250句を選しまとめている。 

※「週刊俳句」では、生前より金原まさ子を取材し特集している。

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