
遠州灘冬の怒濤の二重打ち
百合山羽公
遠州灘は波が荒いため全域遊泳禁止である。冬になると、ここへ「遠州のからっ風」が加わるためにさらに大荒れとなる。掲句はその荒れ様を「二重打ち」という言葉によってピシッと言い留めている——と、大学生になるまで遠州灘近郊にまで住んでいた身としては思う。
ところが、よく考えると僕は「冬の遠州灘」を直接見たことがないような気がする。
自身の遠州灘の記憶は春に集中している。小学生の頃、毎年歩いて遠足に行っていたからだ。一番大人の6年生は、遠足の何日か前に入学したばかりの1年生の教室へ行き、そのうちの一人とペアを組んで交流を深める。そして当日になるとペアごとに手をつないで一斉に遠州灘へ向かう(2年生から5年生は普通に並んで歩く)。それで何をするのかというと、一日砂浜で遊ぶのである。遠州灘は中田島砂丘という巨大な砂浜を有していて、さすがに鳥取砂丘ほどのスケールはないものの、大人でも十分楽しめるスポットとなっている。
中田島砂丘にはアカウミガメが産卵にやってくる。だからボランティアで休日にゴミ拾いに行っていたこともある。そのゴミ拾いが何月に行われていたのかは忘れてしまったけれど、産卵のための上陸が夏だから、やはりその前の春頃に実施していたのだろう。
冬に中田島砂丘に行く用事が地元民にあるとすれば、初日の出である。僕も高校生ぐらいのときに、地元の同級生に誘われたことがあったのだが、結局一度も行くことはなかった。実家は小学校よりもさらに南にあるので、より海に近い。それでも行かなかった。ただ単にめんどくさかったためである。
「遠州灘を直接見に行く」のが自身にとってめんどくさい理由はいくつかある。まず一点目に、冬でなくてもそこそこ風が強い。海からある程度離れていても強い。実家近辺のバス停は軒並み背が低い。風で倒れないようにするためである。帽子はニットとかでないとすぐ飛んでしまうので被っていられない。それで脱ぐと髪が乱れまくる。浜松の冬は天気はいいのだが、この風によって大いなる寒さを獲得している。
二点目に、砂丘が広い。意外と南北に奥行きがあるので、なかなか波打ち際まで辿りつかない。砂丘なので起伏が体力を奪う。からっ風に吹き上げられた砂丘の砂が顔や体を打つことだってある。
そして三点目、これが一番本質的なのだが、遠州灘には海を一望しながら走れるようないわゆる「シーサイドロード」がほとんど存在しない。砂丘の砂が風に乗って住宅地へ飛んでいくのを防ぐために、東西に何十kmにもわたって厚めの防砂林が植えられているからである(その歴史は江戸期に遡るとされる)。遠州灘に一番近い道路を通っても、南側に見えるのは松林ばかりである。その林を抜けて、さらにその向こうの砂丘を抜けて、ようやく遠州灘に直接相対することができるのだ。
……というのは僕の高校時代までの記憶で、現在はさらにめんどくさい。2011年の東日本大震災を受けてここへさらに防潮堤が立ったからだ。浜松の駅南はほぼ真っ平で、海や砂浜に比べて住宅地が一段高い、というような土地形状になっていない。津波の被害を防ぐためにはこれはさすがに仕方がない。むしろ安心している。
めんどくささを強調しすぎてしまったが、これはあくまで自分視点の話である。中田島砂丘へは浜松駅からバスが出ているので、観光客にとってはアクセスが良いと思う。風や砂丘の険しさは、それもまた遠州の風物詩だと受けいれてしまえば楽しい。僕の場合は実家が遠州灘に近いために逆に利用できる公共交通機関がなく、かえって訪れるのが億劫なスポットとなっているということだ。
そんな感じで心理的な距離を感じつつも、小学校だけでなく中学校も高校も実家より北側にあった僕にとって、遠州灘とは一貫して「帰宅方向」であった。もちろん、上記の事情によって、家路の途中で遠州灘を目にすることはありえない。しかし、これが不思議なのだが、家に近づけば近づくほど、とりわけそれが冬の夜であるほど、なぜか遠州灘の「怒涛」の存在感は増していくのだ。これまで、なんとなくその存在感の正体は大きな海鳴りだと思っていた。ただ、今回この記事を書くにあたってよく考えてみると、いくら家が浜に近いとはいえ、波音が聞こえるような距離ではない気もしてきた。
一応、遠州灘の波音の大きさを示す証左のひとつとして、浜松には「波小僧」という妖怪伝承がある。漁師の網に引っかかって命乞いをした波小僧が、助けてもらう条件として波の音で天気を知らせることを約束した。その結果、遠州灘の波音は「雷三里、波千里」と呼ばれる、地鳴りに似た独特の響きを持つようになった、というものである。
いくらなんでも「波千里」は誇張ではないかと読者のみなさんは思うだろう。僕もそう思った。なので改めて調べてみたら、遠州灘の波音がどれくらいの範囲にまで届いているかを調査する「遠州波小僧PROJECT」というものがあることを知った。そのWebページに掲載されている波音マップを見てみたら、その範囲は実家を余裕で超えている(https://namikozo.com/)。やはり自分の記憶は正しいのかもしれない。今年の年末年始は実家に帰る予定である。波音が実家にまで届いているか検証してみて、ついでに「初・初日の出」にもチャレンジして良いかもしれない。
いずれにしろ、僕が掲句を初めて読んだとき、冬の遠州灘を見た記憶がないにもかかわらず「二重打ち」という表現をリアルに感じた——これは確かなことだ。そして自身にとって何より重要なのは、この句からイメージされるのが荒ぶる波の景ではなく、風の強い冬の夜の帰宅中によく見上げていた南の星空と、その底を途切れ途切れに這ってきていた低い地鳴りの音だということである。こういう地元の個人的な記憶に根ざした句の鑑賞はなかなか句会などでは共有しにくい。この文章を通して、少しでも読者に自身が持つ掲句のイメージとそのバックグラウンドを理解してもらえたなら幸いである。
掲句は『百合山羽公全句集』(角川書店、2006年)より引いた。
(田中木江)
【執筆者プロフィール】
田中木江(たなか・きのえ)
1988年: 静岡県浜松市生まれ
2019年: 作句開始
2023年: 「麒麟」入会 西村麒麟氏に師事
2024年: 第1回鱗kokera賞 西村麒麟賞 受賞
2025年: 第8回俳句四季新人奨励賞 受賞