蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇
冬野虹
すっかり身体の大きくなった上の子どもが、最近なぜか「ゲゲゲの鬼太郎」を再び観ている。幼少期に観ていたノスタルジーもあるのか、「あのときはこのエピソードが怖かったな」などと楽しげである。鬼太郎シリーズには私もいささか子ども時代の記憶から愛着があるので、気持ちはわからないでもない。まして水木しげる先生とは街中で何度かすれ違っていて(恐れ多くて声をおかけすることはできずじまいだったが)、鬼太郎には特別感があるのだ。そんな子どもの観ている第6期鬼太郎シリーズの作中には、たびたび「見えてる世界が全てじゃない」というセリフが出てくる。見えない世界に思いを馳せること。これは、俳句を詠む/読むうえで、ときどき気にすることでもある。
たいへん卑近な前置きで本当に申し訳ないのだが、今回は見えないものを手繰り寄せるような句をご紹介したい。
蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇 冬野虹
蚊帳吊草(カヤツリグサ)は地味な植物である。茎も細く、穂も遠目にはあわあわとして覚束ない。そこから辿りつくのが少女の骨の闇であるという。そこへ至る道のりも不明瞭であるが、少女の骨の闇というもどこか捉えどころがない。そのフレーズにはぎょっとするが、映像的には精細なわけではなく、イメージの自由度が高いように思う。野ざらしの骨ではないだろう。それが少女のものと同定できる、他のものとはどこか異なった、少女ならではの闇を抱えた骨なのだ。蚊帳吊草のぼんやり感から少女の骨の闇へと至ることで、描かれた見えない世界、明言されない闇の内実へと大きく想像が膨らむ。少女という語は用い方によってはあやうさも伴うが、この句はそうした消費的な眼差しとは無縁で、ひたむきに対象の本質を探ろうとする筆致を感じる。
掲句は、句集『雪予報』より。冬野虹詩文集『編棒を火の色に替えてから』(四ツ谷龍編)に句集抄が所収されている。名状しがたい感興、とりわけそこはかとない不安をさらりと提示するような句に魅かれる。
まよひこみ海綿売の声まつしろ 冬野虹(以下同)
荒海やなわとびの中がらんどう
羽蟻きて夕陽の色に発泡す
生まれなさいパンジーの森くらくして
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
ハローいたい頭のいたいこの夕陽
W・W・WATER夢の鞄のくにゃくにゃに
どの作品も散りばめられたことばの自在さに驚く。句を挙げはじめるときりがないのだが、独特の皮膚感覚のようなもので捉えられた、ここにしかない景が立ち上がってくる。一方で、俳句の形式美を巧みに用いた句もまた、繊細な感覚に満ちている。
雪の笹咳しみとほる堅田かな
追ひ風に顔かきくもる根深かな
あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎
雪ふると池のにほひのからだかな
ちょうどこれを書いている7月16日は、716(なないろ)ということで「虹の日」だそう。たっぷりと、見えない世界に浸ってみたい。
(楠本奇蹄)
【執筆者プロフィール】
楠本 奇蹄(くすもと きてい)
豆の木など参加。第11回百年俳句賞最優秀賞、第41回兜太現代俳句新人賞。句集『おしやべり』(マルコボ.コム,2022)、『グッドタイム』(現代俳句協会,2025)。
Twitter:@Kitei_Kusumoto
bluesky:@kitei-kusu.bsky.social
楠本奇蹄句集『グッドタイム』はこちらのサイトでもお求めいただけます。
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https://100hyakunen.thebase.in/items/109144894
【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子
【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕おやすみ
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二