【俳書探訪】片山由美子『鷹羽狩行の百句』(ふらんす堂、2018年)

さて、この本における片山による貴重な指摘のひとつは、若き鷹羽狩行が山口誓子(1901-1994)から大きな影響を受けながらも、ある時期に、切字を使わずに動詞を多用する「天狼調」から、「字余りを解消し、名詞で終わる安定した叙法にする」という方向へ転換した、ということである。

ある時期というのは、1965年に刊行された『誕生』が、その10年後である1975年に新版として再刊されたときのことだ。

このとき、「定本」として再刊するにあたって、狩行は句の推敲をしているのである。これは、これまでに繰り返し言及されてきたのかもしれないが、今ではそれほど知られていない事実であろう。そして、この事実に対し、片山は次のように論評する。

(……)山口誓子は一人しか要らない。いくら巧みにその文体を真似たところで、誓子を超えることはできないのである。それに気づいたとき、狩行は独自の文体を確立することを目指したのである。
 狩行という人間、その本来の感覚が求めるのは、まずバランスのよさであった。

ここでいう「バランス」とは、何よりもまず十七音という定型を墨守しながら、そこに新味を見出そうとするバランスである。片山はそこまでは言っていないが、私になりにパラフレーズすると、「前衛」という名の下で、俳句形式を破壊しようとする人々は今も昔も存在するけれど、「それって新しさじゃなくね?」ということである。かつて、高濱虚子が「新傾向」に対して批判を送り続け、みずからは「守旧派」を名乗っていたのと、同じロジックである。

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