三月の又うつくしきカレンダー 下田実花【季語=三月(春)】


三月の又うつくしきカレンダー

下田実花(しもだじっか)()()()()()()()))


雨の多い一週間、だったような…気がするけれど、あんまり記憶がない。そう、水曜から晴れた。雨もよかったけど、晴れもいい。いいけど、この寒暖と晴雨との揺り返しは、この頃のひとびとをあやうくする。寒いときも暑いときもどんな時もそうだけど、そういうときは可能な限り自分を甘やかしていいんだ、そうだそうだ、そんな金曜のはじまりですよ。

というわけで、先週に続いて、私にやさしい作家シリーズ、本日は下田実花。高濱虚子に学び、山口誓子を兄とした。というのも、妙な書きかただけれど、幼いころに母を亡くした実花は養子にゆき、山口誓子との兄と妹としての本格的(?)な交流はだいぶ後になってからのこと。関東大震災をきっかけに、手紙をやりとりするようになったと誓子が句集の跋文に寄せている。

もうひとつ、実花について言うとすれば、芸妓として生きたことだろう。華やかな交流が句に表れていることはあるけれど(句集の扉絵は川合玉堂)、より印象的なのはいくつかの季題が毎年繰り返して詠まれていることだ。羽子、鏡餅、東踊、袷・浴衣をはじめとした着物の類、遊船、四季折々の扇、簾、狸汁、闇汁などなど、それらの姿に古めかしさはなく、今もなお活気を失わない句ばかりだ。

といいながら、掲句はその世界とは全く別のもの。実花の句は、芸妓の生活らしいものも、そうでないものも、隔てなく描かれる。

 三月の又うつくしきカレンダー

言葉はやさしい。「三月」「うつくし」「カレンダー」。(一月、二月といった)月は作り方が難しいよねなどと、ちまちま言っている現代の私たちが肩透かしを食うようなストレートさだ。そのなかで、かろうじて、そしてもっとも謎めいているのが「又」の一字だ。

作句は昭和二十一年、戦後最初の三月、ひとつにはその「再びの平時」の安堵と受け取ることができる。もちろん、戦時と分けることなく、毎年繰り返す「再び」の春の訪れの喜びともとれる。

そして、もうひとつ、この句の「また」との呼応とも感じられるというのは感傷的に過ぎるだろうか。

 麗しき春の七曜またはじまる 誓子

兄、山口誓子は跋文の終わりをこのように締めくくっている。

「俳句はもう棄てやうとしても棄てられはしない。」

「俳句」とは、「は」とは、と考えてゆくと、明るくも不安定なこの季節には、胸に迫る一文だ。

実花句帖』(1955年)所収

阪西敦子


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【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



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