仰向けに冬川流れ無一物 成田千空【季語=冬川(冬)】


仰向けに冬川流れ無一物

成田千空

 千空の飯詰村での帰農生活は敗戦とほぼ同時に始まり、その翌年の昭和21年(1946・千空25歳)11月には中村草田男主宰の『萬緑』が創刊される。千空は朝日新聞の広告欄で『萬緑』創刊を知り、直ちに入会した。

 千空はその入会理由を「現代の俳句をいろいろと読んで、いちばん多くの句をおぼえている俳人は草田男でした。わからない句が多いのも草田男でした。それがまた魅力でもあり、草田男に学ぶしかないと思っていましたから、『萬緑』の創刊は実にうれしい戦後の出来ごとでした」と語っている。

 たびたび遅刊のあった『萬緑』であったが、創刊から2年後の昭和23年(1948・千空27歳)に、千空は以下の五句で初めて雑詠欄の巻頭となる。

空蟬の脚のつめたきこのさみしさ
炎ゆる砂地掠めし燕懐かしや
大望に遠く杭ぜに菜屑溜る
父の日の餅あしつよき餅をつく
父の日の夜に入る煖爐赤くしぬ

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