【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年4月分】


【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2023年4月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイクを読む」、2023年もやってます! 今回は13名の方にご投稿いただきました。ご投稿ありがとうございます。(掲載は到着順です)


Night on my bed / The smell of your body / Never falls asleep

Amir Or

「楽園」12号より

一読して「あなたの体の匂いで眠れない?ずいぶん色っぽい句だな」と思ったのだが、よく読んでみれば「Never falls asleep」の主語は「The smell of your body」ということか。つまり「あなたの体の匂い『が』眠らない」。となると、「あなたの体」自体は既に眠っているのかもしれない。または、「あなたの体」はそもそもここには無く、代わりに夜だけが満ちているのかもしれない。国も時代も異なるが、ふとこの歌を連想した。

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂

 西生ゆかり/「街」)


薬より癒しの言葉小六月

中川 令

「櫟」2023年3月号より

この句を読んで、すぐに思い出した短歌がある。俵万智さんの、「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(サラダ記念日)。本当に、薬より言葉が癒しになるのだ。この句の季語も「小六月」で冬の季語。「寒いね」答えてくれるだけでいいのである。

加瀬みづき/「都市」)


押されゐて妻が遠くに初詣

河原地英武

「伊吹嶺」2023年3月号より

車椅子の妻との初詣の景
無理のない距離と人出の神社
三が日も過ぎた頃か
まばらな参詣者の先に、車椅子を押されて進む妻が見える
押され「ゐて」の描写と、「て」で繋いだ妻「が」の生む上五中七のずれがいい
「遠くに」と手放した主体がいい
この精緻な詠みに託された作者の心情を、私は言葉にすることができない

土屋幸代/「蒼海」)


餌やりて鴨の品性乱しけり

小笠龍雄

「たかんな」2023年3月号より

毎年近くの池に軽鴨が来て子育てをする。すると近くの高齢者を中心に「軽鴨防衛隊」が自然発生的に組織される。早朝から池の端に屯し、雛を数え餌を撒く。天敵の蛇や烏が近づこうものなら追っかけ回し打ちのめす。餌を横取りしようとする亀や鯉は棒で突き駆逐する。お陰で雛は欠けることなくがつがつ食ってぶくぶく太っていく。隊員たちには何の疑問もなく至極満足気である。柵には「生態系を崩すので餌を与えないで!」との看板があるが、棒等で武装した隊員達には怖くて誰も注意などできない。
掲句は「鴨」だが事情は同じ。乱されているのは「鴨の品性」だけはでない。人為的な生態系の破壊に警鐘を鳴らす一句。

種谷良二/「櫟」)


仏壇に青きアボカド開戦日

藤田美和子

「櫟」2023年3月号より

青いアボカドを食べごろにまで熟成したい場合、冷蔵庫の中ではなく、どこか室内に置いておく必要がある。掲句では、青いアボカドが仏壇に供えられている。アボカドが故人の好物であった可能性もあるが、まだ「青い」ことから、ただ単に熟成させるために仏壇に置いたのだと思った。その行為がどこまでも平和だ。「開戦日」は12月8日、日本が真珠湾攻撃を仕掛けて太平洋戦争が始まった日。アボカドという異国の食物を楽しめて、熟成させておく場所として仏壇が選ばれる日常の平和さが尊い。

千野千佳/「蒼海」)


退職者の白衣XLや冷ゆ

千野千佳

「蒼海」19号より

退職者に貸与されていた白衣が手元に戻ってきたのだろうか。「大柄な人だな」と思っていたが、サイズを確認し、改めてその大きさを思い出す。大きさや声色、性格やエピソードが一瞬でよみがえり、退職してしまったことを再確認する。寂しいと積極的に思うわけではない。それほど親しい関係ではなかったし、職場での出会いと別れは何度となく経験している。それでも、一抹の喪失感がそこにあるのだろう。作者のまだ言葉にならない寂しさに触れたような気がした。
句またがりで続いたあとの「冷ゆ」がぐっと胸に迫ってくる一句である。

河南朴野


五人目の足が炬燵の斜めから

北大路

「街」NO.160より

こたつはいいね
四角いこたつ
一辺に一人ずつ
座ってなかよく
みかん食べ
お茶を飲んだり
トランプしたり
四人なかよく
こたつはいいね
おや?おやっ?
こたつの斜めから
五人目の足が
入ってきたよ
おや?おやっ?
五人目の足って
ふわふわの足
おや?おやっ?
人じゃない
ねこの足
そしてすっぽり
あたまもからだも
しっぽもみんな
こたつの中に
入っていくよ
こたつはいいね
こたつの中は
ねこのうち

月湖/「里」)


スケートの停止はあとでかんがへる

水上ゆめ

「秋草」2023年4月号より

掲句を見ながら、かんがへる、かんがへると舌のうえに転がしていると、「かんがへる」が「勘が減る」に変化していきました。言葉って不思議ですね。「かんがへる」が(考える)もしくは(考へる)だったら、掲句の前で停止していませんでした。「勘が減る」とは多分こういうことだと思います。脳の中にある勘らしきものを減らし、全身の皮膚感覚を信じて滑りだせば、氷上の風になれる。停止はあとで考えればいい。スケートは、滑らないと始まらないのだから。人生もまたしかり。

高瀬昌久


海市まで手持ちの時間つかひきる

大河原倫子

「雪華」2023年3月号より

海市までたどり着いたところで手持ちの時間を使い切った、或いは使い切ると海市までたどり着いていた、とも読めるだろうか。一般に持ち時間とは言うが「手持ちの」とは普通聞かない言葉で、恐らくひとの一生において保有している時間。つまり海市とは彼岸や浄土のようなもの、そうなると実にストレートな句ではある。あるけれど一生を「手持ちの時間」と言い、また「使い切る」と言う、その突き放したような把握に魅力がある。時間を使い切った作中人物は既に海市にいることになり、そちらからこちらを観られているような不思議な感覚がある。

田中目八/「奎」)


吉良公の首が渡りし橋寒暮 

篠崎央子

「磁石」2023年3・4月号より

1702年12月14日未明、赤穂浪士47人が本所吉良上野介邸に討ち入り。本懐を遂げた浪士達は、雪の江戸の街を隅田川に沿うように縦断し、浅野内匠頭の墓前(泉岳寺)に吉良の首を供えた。距離は約13km。その際に永代橋を渡ったと伝えられている。永代橋は歌川広重の絵にも描かれ、現在はライトアップも美しいアーチ型の鉄橋である。日が落ちて身にきんと染みるような寒暮にこの橋を渡った作者は、吉良の首が橋を渡ったあの雪の日の未明に近い寒さを感じたに違いない。雪に残る一行の足跡、首に未だ残る血の色まで見えた、かもしれない。

藤色葉菜/「秋」)


きらきらとぎらぎらのゐる成人式

水野大雅

「南風」2023年4月号より

頻繁に使われる擬態語を大担に人間と置き換える活用をするなんて、おもしろい俳句だと思った。擬態語を二つ並べたことでより効果的にはたらいている。
きらきらしているのは、友との久しぶりの再会を喜び合うなどしている清々しい笑顔のひとたち、ぎらぎらしているのは、肩をいからせて歩いたり、大きな声を張りあげたりするひとたちだろう。擬態語の後には、急にそれとは似つかわしくない雰囲気の歴史的仮名遣い。これも効いている。そのひとの静かな佇まいを感じる。成人を迎えたひとたちとは年齢が結構離れているのではないかと思わせる。

弦石マキ/「蒼海」)


吉良公の首が渡りし橋寒暮 

篠崎央子

「磁石」2023年3・4月号より

元禄15年12月14日、赤穂浪士による吉良邸への討ち入りは、日本人ならだれもが知っている。
本懐を遂げた浪士達は、隊列を整え、降り積もった雪を踏みしめながら、未明の江戸の街を歩いた。
吉良邸引き揚げが卯の刻(午前6時)頃、泉岳寺到着は辰の刻(午前8時)頃といわれている。この赤穂浪士が歩いた道をたどるツアーもあるようだが、13.2kmの行程は、現代の健脚者でも、6時間半はかかるようだ。この句の橋は、江戸時代は大川と呼ばれていた、隅田川下流の永代橋。
橋の近くには赤穂義士休息地の碑が立っている。寒暮が、この討ち入りの時期に響きあう名句。

野島正則/「青垣」・「平」)


一本の木でありし舟朧なり

村上喜代子

「いには」2023年4月号より

黒曜石で木を削って舟を作る技術は三万年前の石器時代から。残っているのは縄文時代のものしかないので、これは縄文時代の舟だろう。台湾から与那国島へ、そして日本列島に渡って来たのは私たちの祖先だ。はっきりしないことの中に、確かな物として舟がある。

小原千秋/「櫟」)



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