【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2023年10月分】
ご好評いただいている「コンゲツノハイクを読む」、2023年もやってます! 今回は9名の方にご投稿いただきました。ご投稿ありがとうございます。(掲載は到着順です)→2023年10月の「コンゲツノハイク」はこちらから
百合開く何の力も使はずに
丸山晶子
「三日月」2023年9月号より
ドア開くならスルーしただろうが、百合開くだし平易な言葉でさらりと書かれているものだから読み下してふと立ち止まった。開くという状態変化には力学が働いているはずだし、何か生理的なメカニズムがあるだろうと思いこんでいる。だから、まったく力を使わずに開くと言われると、無意識に違和感を覚えるものの、倒置法の係り受けで、違和感と共に再び読み返す羽目になる。そこで、これは自然現象の描写ではなく、擬人化された喩であることに改めて気づくのだ。厚みのある大きな花弁を外に反らしているその開花は力いっぱいな様子であるにもかかわらず、まるで一切の力をも使わずに開いているかのようであり、いかにも余裕綽々で自信に満ち溢れ、完全無欠で豪奢な気品を漂わせることになり、この「百合」の「百合」らしさを否応なく知らしめるのだ。
(小松敦/「海原」)
有給休暇新緑が取れと言ふ
種谷良二
「櫟」2023年9月号より
有給休暇という言葉は、会社員にとって安堵と期待のこもった言葉だろう。だいたいの会社は4月に、1年分の有給休暇が付与されると思う。付与された有給休暇をいつ使うか、突然の用事など配慮して、何日か分、旅行や趣味の時間にとろうとする。有給休暇が取りやすい職場ならばいい。でも、働き盛りの会社員の方は、まだまだ、自由に有給休暇がとりづらいかもしれない。見回せば、街路樹も公園の木々、山の樹木も、青葉、若葉に包まれた気持ち良い季節になった。作者も、有給休暇を取って、新緑の世界へ行きたい。それを、新緑が有給休暇をとれといわしむる。会社員の切ない一句である。
(加瀬みづき/「都市」)
案の定毛虫は毛から焼けてゆく
川村胡桃
「銀化」2023年10月号より
言われてみればそのとおり。ことばにすることで撮影できる映像を見ることができました。俳句って映画なんですね。毛虫よりは人間のほうが好きだけど、毛虫焼くという季語を考える人間が怖い。風に乗り飛ぶ夢をみる虫を焼く炎のなかを駆ける鬣。空を飛んでいる夢を見ることがある。おそらく毛虫も空を飛んでいる夢を見ているかも知れない。煙になった毛虫、夕焼け空、阿部薫のアルトサックスが聴こえてきた。耳を裂く言葉のナイフ毛虫焼く。
(高瀬昌久)
梅雨の月ひらひら母の家出せり
水口佳子
「銀化」2023年10月号より
お月さまを大好きな母
お月さまと
窓辺でいつもランデブー
だけど 最近 会えないの
だって お月さまは
ひとりぼっちで
大きな雲の家の中
ひとりぼっちで閉じこもり
ひとりぼっちで泣いてるの
涙の雨は降りやまず
なぜか お月さまは
ひとりぼっちで泣いてるの
つゆりつゆり泣いてるの
つゆりつゆりお月さま
みんなは梅雨の月と言ってるよ
お月さまを大好きな母
ずっと泣いてるお月さまを
とてもとても心配し
ついに母は家を出て
お月さまに呼びかけた
すると お月さまは
泣きやんで
雲の家から出てきたよ
お月さま
ひらひらひかり
ひらひらおどり
ひらひらうたう
お月さまと母もいっしょに
ひらひらおどり
ひらひらうたう
お月さまを大好きな母は
ひらひら♪ ひらひら♪
ひらひらのひかりのなかで
お月さまとランデブー
(月湖/「里」)
歩かせてまた少し抱く祭りの子
松居舞
「銀化」2023年10月号より
宙を掻いていた足が地面に着くや、甚平のお尻を振って歩き出す幼児
しばしば外れる進路や障害物に、親は子を抱えては安全な場所に下ろします
祭の賑わいの中、親の心は子の成長の喜びに満たされています
祭に内包される郷愁に、いつかこの日を思い出す時の切なさも感じられます
岸本尚毅さんの「末枯に子供を置けば走りけり」を思い出しました
こちらにはある段階に発現する機能の不思議、あるいは必然を感じます
写生の技術が読み得る俳句の幅に驚きます
それは季語の働きであり、子か子供かという一語の選択の技でもあるでしょう
(土屋幸代/「蒼海」)
白線に少しく嵩や日の盛
高橋真美
「秋草」2023年10月号より
道路の白線に、すこしのペンキの厚みを感じることがある。そこを「少しく嵩」と抑えて表現をしているところがいい。「日の盛」なので、じりじりと灼けるようなアスファルトの道を歩いているのだろう。暑くて暑くて白線しか見ていなかったので、白線のすこしの厚みが目についたのかもしれない。普段目にしていることをぴったりの表現で俳句にされると気持ちがいい。こんな俳句を作りたいと思う。
(千野千佳/「蒼海」)
黒南風や給水塔に魔力満つ
白山土鳩
「蒼海」21号より
給水塔、よいですよね。
でも中には怖いと感じる人もいるとか。
特に古い、巨大な給水塔を想像する。
形は種々様々あるけれど、如何にも巨塔然としたものを思いたい。
それは今では使われておらず、町の中で孤立し一帯に近寄り難い独特の雰囲気をもたらしている、給水塔マニアの間でも曰くつきの一基だ。
その塔が呼び寄せたかのように黒南風が吹く。
梅雨の暗い空に給水塔はますます妖しさを帯びる。
風に混じる湿気を身の内に吸い込む、それは給水塔にとってはまさしく魔力であろう。
近年梅雨の時期にゲリラ豪雨が降るのはもしかしたらこの塔の魔力が強まっているからかもしれない。
いよいよ復活のときは近い(ナンの?)
(田中目八/「奎」)
人間の出口をさがす梅雨夕焼
江崎紀和子
「櫟」2023年9月号より
「人間の出口」とは不思議な言葉だが、なんだか惹かれるものがあった。人間の生涯をトンネルのような出入口があるものに例えたのだろうと思う。例えば病に倒れ、意識が朦朧とする中、醒めない夢を幾度も見てもがく。この迷宮の出口はどこなのか。夢の中は梅雨。いつまでも雨が降っている。出口を見つけた時とは、自分の意思ではどうにもならない忌の際なのかもしれない。どんな景色が広がるのか、わたしはまだ知りたくないが、美しい梅雨夕焼であったならと願う。
(藤色葉菜/「秋」)
どこからも入れるかたち蟻地獄
石井雅之
「濃美」2023年10月号より
「蟻地獄」は床下などの雨の当らない乾いた場所にある。クレーターのように砂地を凹ませて、まるで異世界に来たかのようだ。その「どこからも入れるかたち」に、蟻もつい入ってしまうのだろう。まさか二度と出られないとは思ってもいないはずだ。蟻は這い登ろうとしてもがく。しかし砂の斜面はそれを許さない。まもなく蟻は、決して姿を見せぬ者によって地底へと引きずり込まれる。「蟻地獄」の「地獄」とは、まず水気が無いことだ。生物にとって無水の世界の如何に危険なことか。しかしその反生命的な世界の如何に魅惑的なことか。「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を思い出した。
(加能雅臣/「河」)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】