【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2025年8月分】
「コンゲツノハイク」から推しの1句を選んで200字評を投稿できる読者参加型コーナーです。今月は7名の皆様にご参加いただきました。ありがとうございます!
かたつむりどこの家にも朝が来て
舘野まひろ
「秋草」
2025年8月号より
この句は一読、止まない雨はないというような、ひとしく訪れる希望の句のように受け取ったが、何度も読むうちにその印象は変わっていった。
夜は暗くて朝は明るいという見方は一面だからだ。
「朝になれば子はまた実家を出ていってしまう」
「娘が嫁ぐ。父母の前で正座してあいさつをする夜」
「逮夜。最期の時間を家族で過ごす」
いろいろな家族のひと夜。
ここには日常の中の静かな希望もあれば、避けがたい時間の流れの受容もある。朝はひとしく訪れるが、各家での迎え方や出来事は異なる。その差異と共通性を、かたつむりの存在が柔らかくつなげている。
(押見げばげば)
少年の薄き口髭ラムネ飲む
藤原基子
「天穹」
2025年8月号より
少年の大人への成長過程である青年期を迎えたことへの驚きと喜びが伝わります。季語ラムネがこれから向かう青年期にとても合います。
(伊賀啓太/「伊吹嶺」)
女でも男でもなく秋の空
松村ゆり子
「楽園」
第4巻第5号より
私が大学を卒業し社会人となった1985年には、男女雇用機会均等法が制定。自身の就職活動は前年ではありましたが、法の影響は絶大でした。
幼少期から、大正生まれの母に「女性らしく」と躾けられた一方、「社会に貢献できる女性」の育成を掲げていた女子校に長く通学。
そのような環境下、私は、性別以前に「人として」どうであるかが大切、と思うようになりました。
「秋の空」を意図して見上げるのは、人間。女も男も、ひいては、子供も大人も関係ありません。掲句により、そのことを強く想い出した私。
ただ堂々とある「秋の空」であります。
(卯月紫乃/「南風」)
炎昼やときめかぬものみな捨てる
杉山愉一
「街」
NO.174より
「炎昼」の途方もない暑さのなかで、「ときめかぬもの」はみな捨ててしまうという一句。「ときめき」は言うまでもなく、近藤麻理恵が提唱した「こんまりメソッド」における片付けの基準だ。しかし炎昼のなかで人は、「ときめくもの」「ときめかぬもの」の正確な判断ができるだろうか。この句からは潔さと面白さのほかに、風刺も感じ取れる。(ちなみに近藤麻理恵は第3子を出産して以来、子どもたちと楽しく過ごすことを優先し、家の片付けをあきらめたという。)
(千野千佳/「蒼海」)
沈丁のしづかな道を振り返る
内田二歩
「かつらぎ」
2025年7月号より
『しづかな道を振り返る』からここまで、たぶん歩いて来たと。それは気持ちの良い散歩だったか、それとも春愁だったか。どちらにしろそこには沈丁花が咲いて、小さな花は白い毬となり、振り返ったその時には、匂いだけが。
沈丁花の匂いは限りなく濃密で、かたちなく記憶や感覚、感性を刺激。
他の情報が全く描かれていないがゆえに、読者それぞれのうちの景色が濃密な匂いとともに立ち上がり、「静かな」白い空間を埋めてゆくようで、それがとても素敵で面白い句と思いました。
(haruwo/「麒麟」)
木春菊まぶたは閉ぢるためにある
柊月子
「雪華」
2025年8月号より
まぶたを閉じてまぶたに受ける日差しの温かさを感じる。なんだか幸せな気分だ。何かいいことがおこりそうだ。閉じて余計なものを見ないで、いいことだけを思い浮かべる。眠ってしまってもいい。そうだ、開けるためではない。そのとおりだ。からだのしくみに今気づいた。閉じているときの方が平常なのかもしれない。閉じても明るい。なにもかもうまくいく。すべては木春菊、マーガレットのおかげだ。なんてキュートなコンビネーション。
(小松敦/「海原」)
ハンディファン切ってフォロワー減った気分
北野小町
「noi」
2025年7月号より
ハンディファンは、ここ数年の猛暑で大活躍。歳時記に掲載されていなくても、扇子、団扇より、通勤電車の中や、町中でも、片手にこれを持ち、涼んでいる方をよく見る。SNSのいいねの数がハンディファンの羽根の回転の勢いで伸びていたのに、OFFにしたとたん、停止。新しい言葉、感覚の句。
(野島正則/「青垣」「平」「noi」)
【次回の投稿のご案内】
◆応募締切=2025年8月31日
*対象は原則として2025年8月中に発刊された俳句結社誌・同人誌です。刊行日が締切直後の場合は、ご相談ください。
◆配信予定=2025年9月5日
◆投稿先 以下のフォームからご投稿ください。
https://ws.formzu.net/dist/S21988499/