【新連載】
ゆれたことば #1
「瓦礫」
千倉由穂(「小熊座」同人)
東日本大震災から10年が経った。その日わたしは帰省していた仙台にいて被災したのだが、その後、当時に関することばを発することができなかった。出来事があまりに大きく、ことばはあまりに小さいと感じてしまったからだと思う。わたしにとって、10年という月日は沈黙に閉じていた。
わたしは10年前の3月11日に立ち、この連載をはじめたいと思う。そのためにまず、宮城県俳句協会『東日本大震災句集 わたしの一句』を開くことにする。同協会の呼びかけにより集まった俳句をまとめた一書。読み進めていくなかで、その連なりから、風景のようなものが立ち上がってきて、それが震災の現場の風景なのだろうと思った。
カーナビに消えし街並寒波来る 青森 三戸 栗山朗子
音すべて地図より消えぬ春の闇 宮城 栗原 小野寺裕子
街がなくなるということがどういうことなのかを、これらの俳句で知った。カーナビにはある道がないこと、地図にある暮らしが根こそぎなくなっていること。その中で、とくに異質さを放つことばがあることに気付いた。
津波忌の瓦礫に魂のやうな影 青森 八戸 田村正義
秋の蝶瓦礫の上に休みけり 秋田 仙北 齋藤園子
瓦礫よりかすかに雛の笛太鼓 仙台 宮城野 遠藤玲子
瓦礫といふ地図になき山鳥帰る 仙台 宮城野 竹中ひでき
「瓦礫」と一塊に書かれているが、それは暮らしを形作っていた、いや暮らしそのものの残骸だ。色を失った瓦礫の山が目前にそびえる。地図にあった暮らしは跡形もなく、地図にはない山となった瓦礫。
だが、この瓦礫も今はもうない。昨年の夏に宮城県・荒浜地区を訪れたことを思い出す。家の土台と、あとは雑草ばかりが平坦に広がっていた。
10年目にかけてテレビでは特集が組まれ、繰り返し津波の映像が流れる。画面の端に映った波が、一瞬にして画面いっぱいに押し寄せてくる。瞬間、何もかもを攫っていく。撮影者のむせび泣く声すら攫っていく。今回「ことば」について書く場を与えられて、10年という時が経ったからこそ巡ってきた機会だと感じ、立ち返ろうと思った。その時に、俳句に、向き合うことは、「ことば」と向き合うことになるのではないだろうか。
すべての事象は、「ことば」で結わえられ、形作られていくものだと思う。それは強さにもなり、狭さともなる。出来事は歳月によって、忘却されてゆくのではない。「東日本大震災」としてパッケージ化されていってしまう。そうならないために、ことばをことばでもって紐解いていきたい。
津波よって一瞬で瓦礫になってしまった街の、一瞬はその先もずっと続いていく。歳月が均していったとしても、心に押し寄せた瓦礫はなくならない。
蝶生まる瓦礫の町を故郷とし 仙台 宮城野 佐藤成之
【執筆者プロフィール】
千倉由穂(ちくら・ゆほ)
1991年、宮城県仙台市生まれ。「小熊座」同人。東北若手俳人集「むじな」に参加。現代俳句協会会員。
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