抱く吾子も梅雨の重みといふべしや
飯田龍太
『百戸の谿』(1954年)には、複数の「梅雨」の句が収められているが、この句が最も有名な句だろう。飯田龍太は1920年生まれなので、第一句集刊行時は30代半ば。龍太には〈春蝉にわが身をしたふものを抱き〉という句もあるが、こちらは兄の子(公子)である。
掲出句は1951年の作で「吾子」は、前年に生まれた次女純子。みずからの子を抱くときの「重さ」は、1956年にこの純子が急死したことを思うとき、いっそう強く感じられる。いずれ死ぬことがわかっている「子」を抱いているシーンは、たとえそれが俳句にすぎなかったとしても、写真や映像と同じように、切ない。
そのような「切なさ」を生み出しているのは、事後的な作者の人生の歩みであるけれど、それもまた「句」の一部をなしている。表現のうえでいえば、「いふべしや」という少し古風な流し方は、和装で山廬に立つ龍太の姿を思うときに、いかにもという感じを受ける。
このような言い回しは、おそらく戦後の生活のスタイルの洋風化とともに、手放さざるをえなかったように思う。その意味では二重にも三重にも、この句は「失われてしまったもの」の重さが感じられる句もである。いま、小さな娘を育てている私にとっても。
ところで今年2020年は、コロナ禍に見舞われているなかではあるが、飯田龍太の生誕100周年である。総合誌などでも特集が予定されている。『飯田龍太全句集』が文庫版で出版されたことにより、より手軽に龍太の句業を振り返ることができそうだ。
龍太全句集はそれなりの重さである。
これもまた、梅雨の重みというべしや。
(堀切克洋)
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