神は死んだプールの底の白い線
髙柳克弘
ニーチェ後の世界を一言でいうならば、客観性そのものの定義が揺らぎ、一種の相対主義へと陥ったことだ。それは21世紀に入って「ポスト・トゥルース」という標語とともに、ますます混迷を極めている。掲句において、プールの底の白い線はたしかにそこに「ある」のだが、それは水のきらめきとともに、ゆらゆらと、不確かにゆらめいている。俳句でいえば、それは季語の「本意・本情」のようなものだろう。それは確かに「ある」のだが、時代変われば、それを支えている伝統の解釈も変わる。見る人が変われば、「白い線」の見え方は変わる。誰もがプールの底に「白い線」が「ある」と信じられていた時代は、それこそ水の向こう側に、まばゆい残像を残すのみである。『寒林』(2016)より。(堀切克洋)
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