鰡と鯊どちらにされるかを選べ
関悦史
ハゼは旨いが、不細工である。
釣れるものとしてはマハゼがもっともポピュラーだが、泥とたわむれる「ムツゴロウ」もまた、ハゼの一種である。
ボラは出世魚だし、そこそこ綺麗な顔をしているが、泥臭い。
どちらかがいいかといえば、ちょっと困る質問だ。天は二物を与えない。
これは調べて知ったことだが、ハゼはもともと濁点のない「はせ」と呼ばれていて、陰茎(おはせ、はせ、はせお)を語源としているという説があるそうだ。
たしかにハゼは円筒形で、陰茎のようだと言われれば、いささか太めではあるが、そう見えなくもない。
そうなってくると、やはりハゼになるのは、ごめん被りたい。ごめんよ、ハゼ。
では、ボラの語源は何か思ってこれまたググってみると、太っ腹という意味の「ほはら(太腹)」に由来する説を発見。
「ほはら」は「鰾」とも書き、魚の浮袋のことをいう。
ううむ、これでは、タブロイド紙を広げて読んでいる、ビール腹のおじさんではないか。現実の私とは近似しているが、できれば避けたいところだ。
陰茎VSビール腹。
このどうしようもない全面対決に直面させられる不条理が、この句の眼目なのであるが、シチュエーションとしては、魔女が登場する童話に出てきそうな話だ。
「魔女」と書いてしまったけれど、この二択を迫っているのは、いったい何のためなのだろう。
そう考えると、不条理はしばしば二択そのもののなかに含まれているということに気づかされる。
現在、日常的にわたしたちが感じている二択は、「与党か、野党か」というものである。
私自身は、メディアで喧伝されるほどに「野党がだらしない」とは思っていないが、しかしこの二択は「鰡か鯊か」と迫られているのに少し似ている。
世の中は「右か左か」と分けられるほど単純ではない。しかし、あまりの事態の複雑さに、しばしば極端な意見が礼讃されるのも現実だ。
野党自身もまた「国民に政権選択を迫る」という言い方をすることがある。個人的には、これはあまりよくないと思う。
選択を迫られると、ひとびとは不安になり、現状=多勢にしがみつこうとするからだ。
大事なことは、自分のことばで、自分の立場で、「鰡か鯊か」を考え抜き、暫定的ではあれ、答えの道筋を出すことである。
そのためには「考える材料」を提供すること、「考えるヒント」を与えることに尽きる。
その意味で掲句は、一見すると荒唐無稽な選択だが、早急な答えを出したがる現代という時代に対する批評としても読むことができる。
「翻車魚ウェブ」に発表された作品「無休」(2019年)より。
(堀切克洋)