黴くさし男やもめとなりてより
伊藤伊那男
日本の平均寿命は女性87.45歳、男性81.41歳。今年、また過去最高を更新した。
赤瀬川原平が『老人力』を出版したのが1998年のことで、1937年生まれの前衛芸術化は当時、還暦を過ぎたころだった。赤いちゃんちゃんこを着せられることは少なくなったものの、何やら「赤いもの」を贈られて「60年ひとまわり」を寿ぐ風習はいまだに残っているから、60代になることが、いまも昔も「老い」について考え始めるスタートライン、なのかもしれない。
さてこの作者、私の師匠でもあるのだが、61歳つまり「華甲」の年に、俳句結社(銀漢)の主宰となった。そのときすでに、最愛の妻を亡くしており、そのことは第二句集『知命なほ』(2009)に収録されている。そして掲句は、第三句集『然々と』(2018)より引いた)。
私が銀漢亭のマスターである伊藤伊那男さんに初めて会ったのも、ちょうどそのころだった。1949年生まれの亭主は、父親と同じ年齢であるということもあり、私からみると、それほど「老い」を感じさせたわけではなかったが、しかし本人はそうではなかったようで、〈股引をもう見られてもいい齢〉などという句を同時期につくっている。
伊藤伊那男は、わりあいに季語を比喩的に用いることが多い作家のひとりだ。掲句の「黴くさい」というのも、実際の黴そのものを詠んでいるわけではない。しかし黴の時期だからこそ、自分もまた「黴くさく」感じるようになった、しかもそれは「男やもめ」になってから、だという。つまり、妻との生前の思い出は、いまも昔もけっして黴びることがない、という妻恋の一句でもある。
「黴くさい」という言葉には、古書や古仏のように〈古いもの〉であるという意味合いが、まずは含まれている。それは金融業界で働き、時代の先端を歩んでいたことが、遥か遠い昔になってしまったことを、居酒屋のカウンターから思っているとも見える。
しかし同時に、句集を読めば明らかなことだが、伊那男は〈古いもの〉が好きなのである。何よりもまず、歴史愛好家である。先人の俳句もよく覚えていて、すらすらと出てくる。つまり、〈古いもの〉とは、ただただ時代遅れになってしまったというだけではなく、時代を超えて残る普遍的なもの、という一面をもっている。そうした普遍性への憧れもまた、この句には読み取ることができる。
ちょっと〈古い〉句だが、瀧春一(1901-1996)に〈韮粥につくづく鰥ごころなる〉という一句がある。「鰥(やもお)」は妻を失った男、男やもめのことだ。瀧春一は、馬酔木系の作家だが、その庶民性と自嘲的なユーモアは、どこか現在の伊那男俳句に通ずるところがあるようだ。代表句には、〈かなかなや師弟の道も恋に似る〉〈あの世へも顔出しにゆく大昼寝〉などがある。
(堀切克洋)
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