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衣被我のみ古りし夫婦箸 西村和子【季語=衣被(秋)】


衣被我のみ古りし夫婦箸 

西村和子


西村和子の第8句集『わが桜』(KADOKAWA、2020年)より引いた。

作者は1948年生まれ、団塊の世代である。大学入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事したのは、1966年のこと。1996年、「慶大俳句」からの句友である行方克巳とともに「知音」を創刊、行方とともに代表を務めて現在に至っている。

俳句は、好意的に読みすぎてはいけない、という人もいるが、しかし私はおおいに好意的に読むべきだと思っている。

たとえば、この句のなかの「夫」はいつも仕事の帰りが遅く、せっかく買った夫婦箸も、同じ日から使い始めたばかりなのに、すり減り方のスピードがちがう。

そんな関係を思うなら、夫は働き盛り、妻は家事育児メインの生活、という感じになるだろう。

中七の表現からは、どこかで「女であること」の不利な部分、あるいはアンフェアな部分が受け入れ難い、そんな気持ちもしのばれる。

そんな読み方ができないではないが、やはりこの句の「夫」はもう亡くなってから歳月が経過していると想像してみたほうが、はるかに情深い句になるだろう。

夫婦箸のうち長い男箸のほうは、作者にとっての「形見」なのであり、それゆえにいくら傷ついても使いつづけていると思わせるところが心憎い。

実際に、第46回俳人協会賞受賞となった第4句集『心音』(角川書店、2006年)の句稿をまとめたときに、「33年の春秋を共にした夫が他界した」のだという。この句集のなかでは、33年間師事した清崎敏郎も失い、また父親もまた喪失している。

作者の初期の句には、〈熱燗の夫にも捨てし夢あらむ〉があり、また絶唱の一句は、〈林檎剥き分かつ命を分かつべく〉。その後の句に〈在りし日のまま並べ掛け夏帽子〉がある。

西村が、〈夫愛すはうれん草の紅愛す〉と詠んだ岡本眸の後継として、毎日俳壇の選者となったことは、たまたまではないのである。

私の師である伊藤伊那男もまた早くに妻を失い、〈妻に会ふためのまなぶた日向ぼこ〉〈かの日より香水減らず妻の部屋〉〈マッチ一本迎火として妻に擦る〉などの句を詠んでいる。

ともにふたりの子供を育てた「団塊の世代」の作家である。両者の相聞の句を並べてみれば、どこか合わせ鏡のようになっているようにも思われる。ここでの季語は、「愛する人のいのち」そのものだ。

角川「俳句」2020年10月号より。

(堀切克洋)

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