木の中に入れば木の陰秋惜しむ
大西朋
〈秋惜しむ〉とは、過ぎ去る秋を愛おしむこと。
「〈木の中に入〉った」句中の動作の主は、〈木の陰〉で秋を愛おしんでいるのだろう。樹木の様子の詳細がなくとも、〈木〉と晩秋の季語〈秋惜しむ〉とが一句にあることで、読者は、この時期の樹木の素晴らしさ、たとえば紅葉の美しさを、記憶から呼び起こすことができる。また樹木の葉以外の樹木の様子も想像が可能で、読むほどに、樹木の存在感が立ち上がってきそうだ。
それにしても、上五中七の表現、特に〈木の中に入れば〉が魅力的。
10月某日晴天。その魅力に誘われて、〈木の中に入れば木の陰〉体験をしに、散歩に出ることに。行き先はセントラル・パーク。
在住のマンハッタン島は、東京山手線の内側と面積をほぼ同じくし、南北方向に細長い。セントラル・パークは、同じく南北に細長く、その名の通り島の中心に位置していて、その面積は実に島の1/17を占める。大都会にありながら奇跡のような自然を湛えるこの公園に、アパートから徒歩10分ほどで行けることを幸運に思う。
句を口ずさみ、俳句の持つリズムと掲句特有の響きを楽しみながら歩いていく。
木の中に入れば木の陰秋惜しむ
筆者の感じた心地良さを、読者の皆さんにもぜひ感じていただきたい。一句をひらがなに開いた(発音に注目するため「をしむ」を「おしむ」と記す)図1を見ながら、1文字分を1拍「()」として、4拍子を取りながら読んでみよう。「(○)」は休拍。(スペースの都合で、1行に4拍分を記すが、行間に合間をおかずに続けて読んでみよう。)
試しに、音楽の4拍子に倣って、1拍目を強拍、(括弧と文字を太字で表記)2、4拍目を弱拍、3拍目を1拍目より弱く弱拍より強め、(文字のみ太字で表記)として読んでみよう。その上で、三行目の1拍目が休拍であるために、その強拍が2拍目に移動してシンコペーションを起こすのを感じて読んでみよう。
句の中心である「木」つまり「き」の音が句中でキー(!)になっている感じを味わっていただけただろうか。
ひらがなをローマ字にしてみると、その「き」は「Ki」。今度は、図2を見ながら、先ほどの拍子の感覚を生かした上で、中心となっている「Ki」を構成する子音「K」と母音「i」を意識して読んでみよう。
「K」音と「i」音が一句中に心地よく響いているのを体感していただけたら幸いだ。
さあ、セントラル・パークに着いた。いつもの入り口から中に入る。
アメリカンエルム、モミジバスズカケノキ、そのほかの木々の色づき始めた葉や、黄葉が目前の銀杏の緑も美しい。秋の陽を浴びて葉のいい匂いもしてくる。
木の中に入れば木の陰秋惜しむ
掲句の眼目である〈木の中に入れば〉に戻ろう。「〈木の中に入〉る」には、作者独特の樹木の捉え方が現れていそうだ。「中に入る」は、家などの空間に対して使う表現であることから、作者は、一本の樹木を空間と捉えている、と想った。
樹木は、地上には幹から枝を広げ葉を広げ、地中には根を広げ、見ること触ることのできる形としてもあるが、それに加えてそれらが囲む空間も含めてすべてが、「木」なのだ。その空間には、生命エネルギーが満ちている。
「〈木の中に入〉る」、の「木」は、形としての樹木を超えた「樹木の生命エネルギーに満ちた空間」であり、作者は、日頃から樹木にその生命エネルギーの空間を感じていて、樹木に近づくことを、自然に〈木の中に入れば〉と表現したのではないか、と。
パークの「木」の中に入ってみた。体が生命エネルギーに溶け込む感じ。それと同時に、やっぱり体はあって、その体に枝葉の影を受けたことで、そこは〈木の影〉だと、気づいた。〈木の影〉は、「見ること触ることのできる樹木」の陰であり、それが感知された瞬間だ。〈木の中に入れば木の影〉だったのだ。作者と、時間と場所を超えて、この一瞬の樹木の感知の変化、この素朴な驚きを共感したような気がした。
一樹に一つの空間ではあるが、それと同時に他の樹木の空間にも開かれている。別れてもいるが繋がってもいる、柔軟な空間だ。見渡せば、それぞれの「木」の中に、親子連れや、エクササイズをする人、眠る人。思い思いに秋の日和を楽しんでいる。ここで、「木」の中に入る、このすべての人々が、掲句の動作の主であることに気づく。
この空間にやってくるのは、人だけではない。梢に遊ぶ鳥たち、幹や枝を走る栗鼠たち。すると、掲句の動作の主は、「木」の中に入る、あらゆる生き物でもあることに気づく。
さらに掲句は、日本や、ここアメリカ、フランスほか、樹木のある、秋のある、地球上のあらゆる場所に住む読者に開かれていて、過ぎゆく秋の美しさを想わせてくれる。まさに、「木」のように大きな包容力を持った句なのだ。
木の中に入れば木の陰秋惜しむ
いくつの「木」の中に入っただろう。体にエネルギーがたっぷり満ちた。
冬を前に、ニューヨークの極上の秋のひとときを授かった心地だ。
さて、句を口ずさみながら帰路につくとしよう。
(月野ぽぽな)
【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
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